元オリックス監督の故仰木彬氏の母校で県内屈指の公立進学校、東筑(福岡)が古豪復活を果たした。次々と私学強豪を倒し、最後は今春センバツ8強で優勝候補筆頭の福岡大大濠に3-1で競り勝ち96年以来、6度目の夏切符をつかんだ。過去5度ある夏の甲子園出場のうち、3度は石田姓のエースで達成。そして今夏、4代目となる2年生の右横手投げエース石田旭昇(あきのり)投手が偉業を成し遂げた。

 「石田伝説」は本物だった! 最後の打者をこん身の内角直球で打ち取ると、2年生エースの石田は両手を天に突き上げ喜びを一気に爆発させた。決勝前、疲労から腰に痛みがあったという。それでも「試合に入ったら気持ちで投げた」。元々、中学時に駅伝部に借り出されるほどスタミナは自信がある。魂を込め2回戦から全7試合、計836球を1人で投げ抜いた。

 1回、先頭打者の三塁打に失策が絡んで1点を先制されたが「(東筑は)挑戦者。打たれて元々」と落ち着いていた。自らの暴投で傷口を広げた5回2死二、三塁では、プロ注目の4番・古賀をチェンジアップで空振り三振に打ち取った。投げ終えて「余力はない。力を出しも尽くしました」と話すほど全力を注いだ。

 過去3度、夏の甲子園に出場したエースが石田姓だったことから期待されてきた。入学後にその伝説を伝え聞き、初めは「周りのOBから言われプレッシャーだった」と言う。だが、伝説の継承に成功して「達成できて良かったです」。ようやく重圧から解放された。

 27日の準決勝後、疲労回復のため整骨院で初めて1時間、酸素カプセルに入った。自宅では冷水を浴びるなど長風呂でリフレッシュ。決勝では趣味は読書という秀才ならではの集中力がさえた。福岡で公立校の夏の甲子園出場は、同校が96年に出場したのが最後。中3の時、センバツを甲子園で観戦し「自分も立ってみたい」と思いをはせた聖地へ「あこがれの甲子園でドキドキですが、打ち取る投球で1戦1戦大事に戦いたい」と声をはずませた。

 名前の旭昇(あきのり)には両親の「朝日が昇る勢いのようにたくましく育ってほしい」との願いが込められている。5月下旬の招待試合で今春センバツ出場の日大三を完封するなど、成長著しい石田。戦国福岡を制した自信を武器に、「日の出の勢い」で鉄腕伝説をつくる。【菊川光一】

 ◆石田旭昇(いしだ・あきのり)2000年(平12)7月31日、福岡県鞍手町出身。野球は小2から軟式の鞍手ベアーズで投手として始める。鞍手中では軟式野球部。東筑進学後、上手から横手投げに転向。1年秋からベンチ入りし5月の日大三との招待試合からエース。最速137キロ。直球、シュート、スライダー、ツーシーム、チェンジアップ。国立大進学希望。173センチ、67キロ。右投げ右打ち。