室蘭地区の北海道栄が7-0の8回コールドで苫小牧中央を下し、2年ぶりの春全道に王手をかけた。右ひざ靱帯(じんたい)および半月板損傷の大けがから戦列復帰した1番清水颯大(そうだい)遊撃手(3年)が、2回裏に公式戦初本塁打を中越えにマークした。PL学園で桑田、清原とともに主軸を担った叔父の清水哲氏(52)との約束を胸に、甲子園ロードを切り開く。

 外角低めのボールをひっぱたくと、清水のイメージ通りの打球が、グングンとセンターに伸びた。2-0で迎えた2回裏2死。貴重な追加点となるソロ本塁打が、122メートルの中堅フェンスを越え、バックスクリーン左に飛び込んだ。「正月に叔父(哲氏)から『ライナーを意識して打て』と言われたばかり。その通りのバッティングができた」。公式戦で初めての感触に、思わずほおがゆるんだ。

 昨年8月、球技大会のサッカーで右膝に全治5カ月の重傷を負った。20日後に手術し、約1カ月の入院生活を余儀なくされた。昨秋の全道大会は病院を抜け出して応援した。準決勝で1点差惜敗。センバツ出場は夢と消えた。「最後の夏の甲子園だけは必ずつかむ」。オフは膝に負担をかけないよう、イスに座ってバットを振った。

 実現すべき目標がある。叔父の哲氏は、PL学園で桑田、清原のKKコンビの1学年上だった。高校で最強メンバーの1人に数えられながら、大学の試合中の事故で第4・5頸椎(けいつい)を脱臼骨折。手足の自由を失い、プロの夢を絶たれた。ただ、野球に対する情熱は失っていない。おいっ子の大阪帰省時、車いすでバッティングセンターに駆けつけ、打撃フォームをチェックしてくれる。だからこそ正月に「『夏は甲子園で会おう』と約束した」(清水)。今年の目標かつ義務として、南北海道大会優勝を心に誓う。

 84年夏の甲子園決勝の9回裏。PL学園の先頭打者だった哲氏は、3-4と1点リードされた場面で取手二のエース石田から左越えの同点本塁打を放ち、試合を振り出しに戻した。歴史に残る名勝負となった当時の映像は、00年生まれの清水の頭に焼き付いている。「動画で何度も見ました。僕も甲子園で、あんなホームランを打ちたい」。復活の春から、約束の夏へ。叔父の待つ聖地に向け、清水が1歩ずつ、前進する。【中島洋尚】