第100回全国高校野球選手権記念秋田大会が11日(こまちスタジアムほか)から開幕する。毎年恒例「白球にかける夏’18」の第1回は県内随一の進学校の秋田を特集する。地元では「秋高(しゅうこう)」の名で親しまれ、野球部は第1回大会の全国準優勝校としても知られる。文武両道を貫いて春夏合計24度の甲子園出場を果たしているが、近年は03年夏を最後に甲子園から遠ざかっている。第100回記念大会の今年、「秋高らしさ」を取り戻し、15年ぶりの甲子園を狙う。

 第100回の夏、偉大な先輩たちの忘れ物を取りに行く。湊壮矢主将(3年)は歴史と伝統の重みを双肩に感じながら「人生に1度しかない3年間で、第100回大会の歴史の1ページに関われる。重圧というよりは、誇りを持って戦う。先輩たちの期待に応えたい」。創部は1897年で、第1回大会は全国準優勝。バックネット裏にある黒い石碑は、今でも神聖な場所としてあがめられ、甲子園での足跡が刻まれている。

 原点回帰の春だった。昨秋から公式戦は未勝利で、5月の地区大会も初戦敗退。県大会出場を連続で逃した現状を受け、湊は歴代の先輩たちが汗を流してきた伝統のグラウンドに、よりどころを求めた。「どんな試合の逆境やピンチでも、秋高での練習と比べたら全然楽だなと思えるように日々の練習をしっかりやらないと」。就任3年目でOBの伊東裕監督(37)の存在も大きかった。高3夏(99年)に甲子園へ導いた主将で、当時の練習風景を繰り返し伝え、「秋高らしさとは」と問い続けてきた。

 「現役の頃は練習でも、1つのミスも許されないほどのピリピリとした緊迫感があった。普段のグラウンドでの甘さを、僕からじゃなくて生徒たちで気付いて修正できる集団になれば、もっと強くなる」

 練習の空気が一変した。ミスが出れば、湊が率先して指摘。以降は学年に関係なく意見が出始めて、緊張感が増した。ミスから崩れて大敗した春と比べて、格段の進歩を遂げた。湊は「グラウンドの中の雰囲気が変わった。ミスをしても、周りがカバーしなきゃと声をかけるようになった」と言う。伊東監督も「自分が思う秋高のグラウンドになりつつある。何事にも左右されない強さ、俺が流れを変えてやるという強さを持つ人間の集団が、秋高野球部。春とは別のチームになった」と成長を認めた。

 原点を取り戻す夏にする。湊は「強い秋高をつくりたいと思ってやっていけば、自然と甲子園につながる。常にベクトルは同じ方向を向いている」。今でも部室に掲げられている部の目標がある。「自分に勝つ、仲間に勝つ、相手に勝つ」。12日の初戦は仁賀保と対戦。創部から122年目の今年、受け継がれてきた伝統のDNAを覚醒させ、すべてに勝つ。【高橋洋平】

 秋田高校 1873年(明6)創立。普通科、理数科がある。生徒数は822人(女子377人)。野球部は1897年(明30)に創部し、春5度、夏19度の甲子園出場を誇る。主なOBは明石康(元国連事務次長)石井浩郎(元巨人)後藤光尊(元楽天、オリックス)。所在地は秋田市手形字中台1。安田浩幸校長。