好投手輩出には秘密があった。「高校野球NOW」の新年第2回は阪神西勇輝投手(28)を生んだ菰野(三重)を特集。プロ注目の150キロ右腕、岡林勇希投手(2年)を擁し、3年連続で投手をNPB(育成含む)に送り込む可能性が高い。1987年(昭62)から指揮を執る戸田直光監督(56)のもと、徹底した球数の管理などケガ撲滅を追求している。【取材・構成=柏原誠】

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戸田監督は規則的に数字が書き込まれた紙を差し出した。1年生から引退した3年生の欄まで。全投手の名前と日付があり、投球数が刻まれていく。数字の次は決まって空欄。「ブルペンでも試合でも連投はさせません」と言い切った。徹底したポリシーがある。

「野球が好きな子がうちに入ってくる。長く野球人生を歩める土台を作ってあげたい。高校までしかできないのはかわいそうじゃないですか」

入学してくる選手のレベルは幅広いが、軟式、硬式の出身を問わず初めの1週間は1日置きのスローイング。2週目は2日投げて1日休む…というように慎重に増やす。投球練習は必ず疲れていない状態で行う。野手を含めて現在の故障者はほぼゼロ。「試合に投げることが一番勉強になるから」と全員が実戦経験を積んでいく。

投手が練習試合で投げるのは土日のどちらか。土曜日に100球投げれば、日曜日は野手としても欠場させることは普通。もちろん、甲子園のかかる大会でエースを連日登板させるケースはあった。それでも入学以来、肩肘の故障経験がないので無理が利く。上級生なら2連投できる筋力も十分ついている。

2番手投手の奥田域太(2年)は1年時122キロだった速球が、130キロ台中盤まで上がってきた。「投手を大切にしてくれる。ベストな状態で試合ができるのでありがたい」。つぶれる投手がいないので、くまなく底上げされ複数の投手がそろう。評判が広まり、好素材が集まってくるサイクルも。岡林は中学時代に全国から勧誘があったが「菰野ならプロに行きやすい」と迷わなかった。

元外野手の戸田監督は投手出身ではないので理論の押しつけもない。「甲子園初出場(05年夏)の頃からこのやり方を始めました。(09年卒の)西勇輝以来、140キロの投手がいなかった年はありません」。そう胸を張った。

 

◆菰野 1948年(昭23)四日市実の菰野分校として創立の県立校。野球部は57年創部。部員数44人(マネジャー4人)。甲子園出場は05年夏、08年夏、13年春。生徒数467人(うち女子255人)。所在地は三重県菰野町大字福村870。