13連勝で止まった。札幌大谷は明豊に1-2で敗れ、道勢4年ぶりの8強を逃した。

大会最長身197センチの先発左腕、阿部剣友(2年)が甲子園初登板。4回途中1失点でしのぐと、2番手の右横手投げ太田流星(3年)も5回1失点と粘ったが、打線が援護できなかった。エース右腕西原健太(3年)が和歌山合宿中に右肩を負傷し、2戦連続で登板回避。昨秋の明治神宮大会を制した太田との2枚看板を生かせずに敗退となった。

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わずかな差だった。昨秋の全道、明治神宮制覇、初の甲子園1勝と続いた進撃は、ついに止まった。道勢4年ぶりの8強を逃した船尾隆広監督(47)は「投手陣はよく2点に抑えてくれた。勝たせられなかったのは私の責任。1球で仕留められる怖さを感じた」と振り返った。

0-0の4回1死満塁で無得点に終わると、直後の4回裏2死二塁、2番手太田が投じた高めの変化球を、明豊4番野辺に右中間に運ばれ、1点を失った。これが決勝点。主将の飯田捕手は「ここは四球でいいと、もっと強くメッセージをおくっていれば。神宮では、こういうところで1回、試合を止めることができたのに、それをしなかった僕の責任」。2ボールからの太田の3球目は、外角に外して構えた飯田のミットではなく、ストライクゾーンに甘く、ふわりと入った。

明豊打線は多彩な変化球を駆使する太田対策として、打席の前に立ち、曲がる前にとらえにきた。この日の太田の球筋について飯田は「いつもより動きが小さかった」と言う。中4日とはいえ、初戦で完投し、疲れも残る中で容易に投じた1球が勝敗を分けた。太田は「構えたところに投げていれば」と悔やんだ。

柱を1本欠いていた。エース西原が、和歌山合宿中の16日の練習試合に登板後、右肩の違和感を訴えた。25日と27日に2度検査を受け、軽い炎症と診断された。27日午後、宿舎近くで船尾監督とキャッチボール、28日に立ち投げ、この日もブルペンで30球程度投げたが、状態は上がらなかった。太田、西原が準決勝、決勝と交互に先発して優勝した明治神宮大会の再現はできなかった。西原は「この悔しさは、夏に戻ってきて晴らしたい」と前を向いた。

敗れはしたが、収穫もあった。2年生左腕阿部が初めて聖地のマウンドに立ち、3回0/3、2安打1失点と踏ん張った。船尾監督は「成長を感じた。もう一皮、二皮むけてくれたら」と期待。ケガを癒やし、芽吹いたつぼみを育て、夏の再進撃につなげる。【永野高輔】