東奥義塾(青森)が5-3で八戸工大一を下し、62年ぶり2度目の東北大会出場を決めた。6回に一挙4得点。

エース斉藤黎央(2年)が終盤3回3分の1を2安打無失点の好投で、相手の反撃を断ち切った。青森県きっての古豪が令和元年、晴れ舞台に復活する。

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東奥義塾が一丸となって東北大会のキップを奪取した。4回表2死一塁から5番芳賀悠斗右翼手(2年)の左越え二塁打で1点を先制。6回には敵失にも乗じて4安打で4点を挙げた。先発の山内洸弥投手(1年)が5回を3安打無失点の好投。終盤を斉藤が締めくくった。

今夏は13年ぶりのベスト4に進出し、古豪復活の機運は高まっている。新チームになって迎えた今大会は、初戦で夏の甲子園8強の八戸学院光星を破り、さらに準々決勝では、夏県準V弘前学院聖愛も撃破し一躍、台風の目となった。工藤秀樹監督(41)は「そんなに力のあるチームではない。でも打線をはじめ、つながりでは負けない。『つながりの義塾』といわれたい」という。

学校創立は1872年(明5)で、今年で147年。前身は津軽藩の藩校・稽古館という名門だ。野球部創部は学校再興の1922年(大11)だが、旧東奥義塾時代の明治10年ごろには米国人宣教師が野球を伝えたといわれる。甲子園出場は夏4度。1967年(昭42)には青森勢初のベスト8進出を遂げている。

前回秋の東北大会に出場した1957年(昭32)は県大会3試合をいずれも1点差で勝ち抜いた。東北大会では1回戦で山形工を6-0で破り、準決勝に進出。優勝した遠野(岩手)に0-2で惜敗した。センバツは逃したが、翌年夏に青森大会で優勝し、甲子園初出場を果たした。

長い歴史を経て、新時代の令和元年に再び勝ち上がった。工藤監督は「無欲の勝利とはこのことかと思う。よくここまで勝ち上がった」という。斎藤は「打たせたらバックが必ずアウトを取ってくれる。以前はエラーも多く、打線もつながらなかったが、今はチームが変わった。東北大会でも受け身にならず戦う」と目を輝かせた。【北村宏平】