高校野球秋季東京大会の準々決勝が3日、この日が最後の試合開催となった神宮第2球場で行われ、第2試合では帝京が日大三を2-1で下した。前田三夫監督(70)は「神宮第2は、ここだけのにおいがある球場でした」と語り、高校球児の聖地として高校野球を支えた個性ある球場の最後を見届けた。第1試合は創価が日大二を下した。

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1961年から58年、幾多の真剣勝負が展開された名球場が役割を終えた。

「長い間に渡り球児たちのプレーを見守っていただきありがとうございました」。曇天の午後3時20分、帝京の女子生徒のアナウンスが流れる。記念撮影で残っていた両チームの選手、スタッフが去った後、最後に前田監督は三塁側ベンチ前で脱帽、背筋を伸ばしグランドへ礼をした。「頭を下げたい気持ちになった。これが最後かな」。

闘将前田監督は古希を迎えた。激しさは胸に秘め、強敵日大三に勝った喜びは見せず、神宮第2球場への感謝に心をこめた。「ここはにおいがする球場でした。お客さんと近い。声援も相手チームへの応援も感じましたね」。

両翼91メートル、中堅116メートル。1993年に土から人工芝になった。外野の人工芝は神宮球場で使われたものが継ぎはぎされており、見た目も良くなく、そして滑る。人工芝用のシューズでも滑った。狭く、守りにくい。打撃戦を期待したファンは多かったが、最後の試合は手に汗を握るロースコアゲームとなった。

帝京は主将のセンター加田拓哉(2年)が2度、ダイビングキャッチのビッグプレーで流れを日大三に渡さない。先制された直後の6回表無死二、三塁。内野ゴロの間に同点に。さらに1死三塁。打者武者倫太郎内野手(2年)の初球で迷わずスクイズ。これを確実に決めて逆転。

粘る日大三は8回。無死三塁で絶好の同点機をつくったが3番、4番が帝京2番手柳沼勇輝(2年)に抑え込まれた。

試合後、小倉全由監督(62)は結果を受けとめてから口を開いた。「確実に取ってくる野球を徹底した帝京さんと、打ってくれるだろうという日大三の違いでした」。少ない得点機を巡って飛び出す好守と好投が、鈴なりの5000人を最後の最後まで引きつけた。終幕にふさわしい名門同士の戦いだった。

高校野球を生きてきた両雄の、この秋の勝負は決着した。神宮第2での戦いを終え、小倉監督は敗戦をこう表現した。「小倉、まだまだだなと言われているよう。幸せな1日でした」。

神宮第2球場は東京オリンピック(五輪)・パラリンピック後に解体される。近代的な球場ではなく、狭さと守りづらさゆえの試練が容赦なく球児に与えられた。その中を勝ち抜いてきた帝京、日大三が最後を飾った。小倉監督は「前田さんと最後の日に試合ができたのは持って生まれた物かな。いい星の元に生まれている」と言った。喪失感はある。それを上回るだけの個性的な監督によるスリリングな高校野球は、まだ続く。【井上真】