帝京がサヨナラ勝ちを収め、決勝進出。11年夏以来となる甲子園出場へ、さらに前進した。

◆帝京の浮沈 平成初期、圧倒的な強さを誇った。89年夏、92年春、95年夏と短期間で3度、全国優勝を果たしている。87年夏の芝草宇宙投手のノーヒットノーランなど昭和後期に甲子園で示してきた存在感を、平成で一気に爆発させた。180センチ前後の大型選手が並ぶパワー野球は「東の横綱」にふさわしかった。

帝京が甲子園を不在にする8年間、東東京地区からは5校が甲子園に出場している。新たな盟主は出現していない。帝京が甲子園から遠ざかる理由の1つに、中学生の進路多様化が影響しているとみられる。「埼玉から帝京に進む中学生が減った」という声がある。95年夏はベンチ入り選手の56%が埼玉出身。今秋は20人中1人だけ。その埼玉では浦和学院が13年春、花咲徳栄が17年夏に全国優勝するなど選手層が厚くなっている。

軟式、シニア、ボーイズ、ヤング、ポニー…と中学野球組織も細分化が進み、小学生→中学生の時点でのチーム選びから多様化しているのが現状だ。