センバツに続き、夏の甲子園も戦後初の中止が決定した。各所に及ぼす影響は計り知れない。「あゝ甲子園」と題し、人々の思いとともに紹介していく。

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「プラカード嬢」の夏も閉ざされた。清楚(せいそ)な濃紺のジャンパースカートに白い帽子姿。開会式の入場行進で、校名が刻まれたプラカードを掲げる先導役は、1949年(昭24)から市西宮(兵庫)の女子生徒に受け継がれてきた伝統行事だ。この夏、そんな聖地のシンボルも途絶える。97年から23年間、指導役を務めてきた青石尚子教諭(51)は「残念は残念。72年目でなくなるのは初めて。けれど、一番は球児が気の毒です」と本来の主役を最初に気遣った。

各地で地方大会が本格的に幕開けする毎年7月上旬、時を同じくして市西宮の女子生徒たちもシビアな選考会に挑む。参加できるのは2年生のみ。同校の体育館に入場行進曲が流れる中、プラカードの柄に見立てた1メートルに満たない長さの竹の棒を1人ずつ握り、前後5メートル間隔をキープして館内を1周する。7人の体育教師がリズム感や歩く姿勢を見定め、昨年は137人のうち106人が応募し、65人(組み合わせ抽選会の補助役などを含む)が通過。倍率は約1・6倍。高校野球さながら一発勝負の戦いになる。

「来年、チャンスはないんですか?」。登校日だった22日、青石教諭は校内で1人の生徒に問われた。夏休み中の行事であるため、進学校の同校は3年生の受験勉強への影響を考慮している。「基本は(今の)1年生のお仕事だよ、と答えました。(代替案は)考えてないですね。『ずっとしたかったので残念です』という子もいました」。一生に1度の舞台を奪われたのは彼女たちも同じだ。

甲子園とのつながりの深さが、せめてもの救いだ。毎年冬に開催される元高校球児たちの「マスターズ甲子園」。同大会の入場行進は本家を踏襲し、市西宮OGがプラカード嬢を務める。高校時代に経験がなくても参加できるといい、青石教諭は「そのくらい思い出が深いんだろうなと。そういうところの声掛けも、いつかはしないとあかんと思います」。青春時代の夢は奪われた。だが、遠い未来で、青春を取り返せる舞台が待っている。【望月千草】