いつもの夏と同じ姿勢で、特別な夏の頂点に立った。

全国高校野球選手権の代替となる都道府県の独自大会が7日、各地で行われ、西東京は東海大菅生が佼成学園に延長サヨナラ勝ち。若林弘泰監督(54)の妥協を排した指導が実を結んだ。

夏の西東京優勝は、甲子園4強まで進んだ17年以来3年ぶり。10日に東東京の優勝校(帝京と関東第一の勝者)と東西東京決戦に臨む。福島は聖光学院が優勝した。

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記念撮影を終えると、若林監督の下に玉置真虎主将(3年)が駆け寄った。ウイニングボールを手渡された指揮官は「ありがとう。まだ1回、あるけどな」と東西東京決戦へハッパをかけつつ、照れくさそうだった。両手で大事にもみながら「びっくりしました。すっかり忘れてたので」。寮の自室に飾るつもりだ。

「悔しかったら優勝してみろ!」。怒声を飛ばしたのは4回戦の中大杉並戦後。2-1の辛勝だけが理由ではない。スタンドで応援する部員にも不遜な態度があった。「ふざけんな! お前ら、そんなもんか」と収まらない。ただ、こうも言った。「マイナスを考えるな。俺で決めたら格好いいと思え」。社会人やプロの勝負の世界で生きてきた。経験から伝える“ヒーロー思考”だった。

真骨頂は延長で発揮された。8、9回と1点ビハインドを2度追い付き、迎えた10回。先頭四球で、4番の杉崎成内野手(3年)が送りバント。5番の堀町沖永外野手(2年)は「初回、3回は好機で凡退。このままでは3年生に申し訳ない。自分で決める」と中越えにサヨナラ二塁打。教えを守りヒーローになった。

甲子園がなくても、いつもの夏だ。中止決定後も優しい言葉はかけなかった。「西東京優勝まで全力でやるのは、甲子園があろうと、なかろうと同じ」。メンバー選考は実力主義。この試合のスタメンマスクは1年生がかぶった。信念がある。「野球をやる目的は人間形成。甲子園は、そのための目標。目標がなくなっても、目的は変わらない。卒業するまで菅生の野球部員です」。東西決戦でも菅生の野球を貫くのみだ。【古川真弥】

◆若林弘泰◆ わかばやし・ひろやす。1966年(昭41)4月22日、神奈川県生まれ。東海大相模、東海大、日立製作所から91年ドラフト4位で中日入団。投手としてプロ通算17試合1勝1敗。会社員を経て、高校の教員免許取得。社会科教諭として東海大菅生に着任し、09年より野球部監督。甲子園出場は15年春、17年夏