長崎県西海市の人口約5000人の小さな大島に唯一ある県立校の大崎が、春夏通じて初の甲子園切符をつかんだ。離島から8校目の快挙だ。廃部寸前からの急成長で強豪私学をなぎ倒し、昨秋の九州大会初優勝。大黒柱のエース右腕、坂本安司投手(2年)を軸に堅守が自慢で、甲子園でも「離島旋風」を起こす。同準優勝の福岡大大濠、4強の明豊(大分)、宮崎商も順当に選出。21世紀枠では具志川商(沖縄)が初の甲子園出場を果たした。

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風光明媚(めいび)な長崎県西部の小さな離島が、大崎の偉業達成に沸いた。

同校練習場には、野球部OBや学校関係者、報道陣ら100人超が集まった。練習中の午後4時25分に学校長から吉報が届けられた。その後、清峰と佐世保実で甲子園出場実績を持つ清水央彦監督(49)は、感無量で涙目となり、何度も言葉を詰まらせた。選手の手で9度宙を舞ったが、甲子園については「もう一段、別のステージに行かんといけん。出るのが目標じゃない」と気を引き締めた。

大島から車で約1時間の佐世保市の日野中から進学し、3連続完投で昨秋の九州大会優勝に貢献した最速139キロのエース坂本は夢の聖地へ「この日を目指して苦しい冬の練習を頑張ってきたのでうれしい。甲子園では145キロを目標にしたい。(島民に)甲子園で勝って恩返ししたい」と気合。週4日練習場を訪れる同校野球部OBの沢田馨さん(65)は「清水監督や選手には頭が下がる。素晴らしい後輩を持って幸せ」と喜んだ。島民の応援も後押しに、甲子園でも「離島旋風」を起こす。

部員は、近隣の佐世保市や五島など全員長崎県出身。中学時代に全国大会を経験した選手は2人いるが、全国トップクラスのタレントはいない。

だが、清水監督が18年4月に赴任して「ゼロから始めた」という部員5人の廃部危機からチームを作り上げて急成長。同監督の指導を受けようと県内の有望選手も集まり始めて3年。昨秋の九州大会では19年九州王者・明豊、福岡大大濠と強豪私学を破って優勝した。“島の球児”が1952年の学校創立以来、初の甲子園切符をつかみ取った。

近年のセンバツでは、14年大島(鹿児島)や16年小豆島(香川)など初戦敗退が続く離島勢だが、経験豊富な名監督の手腕の下でサプライズを見せる。【菊川光一】

 

◆大崎 1952年(昭27)に開校した島内唯一の県立校。男女共学で普通科に113人(女子32人)が学ぶ。野球部は1960年創部で部員29人(1、2年生)。校訓は「気魄、克己、英知」。主な卒業生はNHKの秋山浩志アナウンサー、サッカー元鳥栖の島袋信介ら。所在地は長崎県西海市大島町3468の1。

 

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