仙台育英(宮城)には選手の才能を引き出す“育手”がいる。同校OBで18年に就任した須江航監督(37)は、系列の秀光中教校(宮城)軟式野球部監督で中学日本一に導いた。高校時代は控え内野手、2年秋から学生コーチとして指導者の道に転じた。選手実績は乏しくても、その経験が指導理念へとつながる。一貫して掲げるのは「日本一からの招待」。悲願の大旗白河越えを目指し、14度目の甲子園「春の陣」に挑む。

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100年を超す高校野球史で東北勢の優勝は1度もない。12年春夏の八戸学院光星(青森)、15年夏の仙台育英、18年夏の金足農(秋田)など、現在プロで活躍する好選手を擁しても、決勝の厚い壁にはね返された。仙台育英・須江監督は言う。

「個人のポテンシャルは全国と比べても、遜色はなかったけど、チームとして上回ることがなかった。本当の強さを求めるためには、チームの底上げが必要」

指揮官のポリシーとして、レギュラー争いは日本一にも等しい真剣勝負を求める。1つの大会が終われば、メンバーを白紙に戻す。どれだけ結果を残しても、忖度(そんたく)は一切ない。選手は次の大会に向けて再び刃を研ぎ、一から鎬(しのぎ)を削る。

「激烈な競争の中、勝ち上がった人間が、チームの柱となる。最低9人の柱、欲を言えばベンチ入り18人。チーム内競争で日本一になった時に、高校野球の歴史が変わると思っている」

熾烈(しれつ)な争いを促すため、「レギュラーの扉は常に開いている」と公言する。練習試合や紅白戦での打席数、登板イニング数を全選手に保証。レギュラー、イレギュラー関係なく、平等にチャンスを与える。

「高校時代の自分は試合に出たことがないし、下手過ぎて練習にも参加できなかった。当時がそういう時代。誰よりも補欠の感覚、気持ちが分かる。競争に勝ち負けはある。でも、競争の土俵にすら立てずに終わらせることはしたくない」

甲子園出場を夢見る高校3年間を預かる立場として、就任時から意識し続けることがある。

「選手全員をうまくさせたい。高校で花が咲かなくても、大学、その先で野球ができるように」

「育手」の下で鍛錬を積んだ“剣士”とともに、夢物語は「日本一」の大団円で迎えるつもりだ。(おわり)

【佐藤究】

◆須江航(すえ・わたる)1983年(昭58)4月9日生まれ、さいたま市出身。小2で野球を始め、鳩山中(埼玉)から仙台育英へ。2年秋から学生コーチとなり、3年春夏の甲子園に出場し、センバツでは準優勝。八戸学院大(青森)でも学生コーチを務めた。06年から秀光中教校教諭となり、18年1月から仙台育英に赴任。就任1年目から夏は3年連続で甲子園出場(昨年は交流試合)。168センチ、75キロ。右投げ右打ち。血液型O。