アマチュア野球界の監督はチーム強化に情熱を注いでいます。若い選手とどう向き合って、導くか。その手腕は一般社会に共有できるヒントになります。連載「監督力~新時代を生きるヒント」と題して名将のマネジメントを紹介します。【取材・構成=酒井俊作】

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初回は、3月19日開幕の第93回選抜高校野球大会に出場する県岐阜商を率いる鍛治舎巧監督(69)に迫ります。昨年はコロナ禍で春夏の甲子園大会が消滅。部活動禁止のピンチに合言葉の「而今(じこん)」で心をつなぎ留めました。公立校史上最多の甲子園春夏通算87勝を誇る名門校の、苦境での取り組みにスポットを当てました。

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「目指せ甲子園」。高校球児の夢が消えたのは昨年5月20日だった。一筋の希望だった夏も断たれた。やるせなさばかりが募る。鍛治舎監督は「自分で、新しい目標をしっかり持ってほしい」と訴えた。3年生は目を赤く腫らしていた。

あれから9カ月。打球音が響く岐阜市のグラウンドでコロナ禍の昨季を振り返り、意外な思いを明かす。

「悪い1年でしたが、育まれたものも大きい。一番よかったのは選手の主体性がすごく育まれた点です」

ベテラン監督は続ける。「ジコンって言葉を使ってね」。人さし指で机に空書きする。而今-。「選手は全員、知っています。道元の『正法眼蔵』に出てくる言葉です」。昨年の春、休校で部活動も禁止になり、不安が渦巻くなか、選手にこう伝えたという。

「過去にとらわれず、未来にとらわれず、今、この瞬間を精いっぱい生きる。『甲子園できたのに…』と思ったり『夏もあるかな。秋は大丈夫かな』と心配もしない。周りのことに一喜一憂しないで、今、できることを一生懸命やろう」

だが、試合の結果がなければ、成長しているか分からない。どうすれば前向きになれるか、指揮官は思い巡らせた。「一番いいのは筋トレです」。自宅で、個々に行うトレーニング内容を報告させた。数値が向上していれば前に歩めている証しだ。「日々、個人の記録がある。『すごいな、そこまでいったか』という言葉をどう掛けるか」。筋力トレーニングを継続させ、心が切れないようにした。

名伯楽はSNSを使いこなす。まだ外出制限がない時期、選手は密にならない山に向かった。岐阜の金華山、南宮山…。監督の携帯電話に続々と画像が送られてきた。登頂して充実した顔が映っていた。日々の食事内容や起床時間などもLINEで報告を受け、丁寧に返信を書いた。「俺はちゃんと君のこと見てるよ。頑張ってるか。そんな思いでした」。何度もリモートでミーティングを行った。

忘れられないひと言があるという。夏が消えた5月20日。涙する選手の思いを聞いた。最後にマネジャーの松村海星が口を開いた。「監督の説明で納得しました。だけど、こういうことは僕たちの学年だけにしてほしい。次の学年には経験してほしくない。監督、お願いします」。胸が詰まった。わずかに言葉を絞り出すのが精いっぱいだった。

「君たちは成長したな」

鍛治舎監督は振り返る。「人間って、若者って強いなって。春がなくなってがっくりして、やっとの思いの夏もなくなった。こんな最悪のなかで後輩を思いやれる言葉が出るとは」。この冬、思いを継ぐ1、2年生からLINEが届いた。休日なのに自主トレの内容が書かれていた。「こっちが言いもしないのに」と笑う。コロナ禍でも、たくましく育っていた。69歳が18歳に学んだ1年間だった。

「この期間、選手との距離を縮めてくれた。本当に悪いこと、いっぱいありましたが、補って余りある、いいこともあったなと」

今を生き切る。ひたむきなナインの思いが、再び甲子園を目指す力になった。

○…県岐阜商は強力バッテリーを軸に全国の頂点を狙う。今秋ドラフト候補で主将の高木翔斗捕手(2年)は「目標は優勝です。目の前の1戦1戦を勝って、一戦必勝で勝ち抜きたい」と語る。高校通算16本塁打の打撃と二塁送球1・86秒の強肩が売りだ。最速144キロの左腕エース、野崎慎裕(2年)もプロ注目で「先輩の自分たちへの期待は大きい。そこを感じながらプレーできたらいい」と気合。昨秋の東海大会準優勝。20年の主力も多く、実力は全国トップ級だ。

◆鍛治舎巧(かじしゃ・たくみ)1951年(昭26)5月2日、岐阜県生まれ。県岐阜商から早大、松下電器(現パナソニック)。引退後、同社監督。枚方ボーイズの監督も務め、日本一12回、世界大会優勝2回。14年4月に秀岳館(熊本)監督に就き、16年春から3季連続で甲子園4強、春夏通算4回出場。18年3月から県岐阜商監督。現役時は投手・外野手で、左投げ左打ち。愛読書は三国志。