求(もとめ)親子のストーリーに新たな1ページが刻まれた。東海大相模(神奈川)は公式戦初登板の求航太郎投手(2年)が先発。阪神平野恵一2軍打撃コーチ(41)をおじにもつ右腕は、最速140 キロ 直球を軸に鳥取城北打線を4回2安打無失点に抑えた。チームは3年ぶりに8強進出。福岡大大濠、明豊(大分)の九州勢も8強入り。市和歌山は大会屈指の好投手、小園健太(3年)が決勝点を許し、敗れた。

    ◇    ◇    ◇

甲子園のマウンドで求は思った。「ここで、おじさんがプレーした。その思いを大事に投げよう」。昨秋はメンバーを外れ、この日が公式戦初登板。3年ぶり8強がかかる大事な1戦を任され、少し緊張した。初回、左打者の外を狙った直球が浮いた。1死一、二塁を招いたが「勝つために全力で投げるだけ」。続く2人にフライを打たせた。

鹿児島・奄美大島出身。野球に興味を持ったのは、小1の冬、母康子さんの弟、恵一おじさんの来島がきっかけだ。講演会で、前年秋に豪雨災害に遭った島の復興支援を約束してくれた。初めて、おじと会った求少年は「すげー !  あの身長でプロでやってるんだー ! 」と当時現役の、おじにほれ込んだ。小3から島内で学童野球を始めた。

転機は小学校卒業後だ。野球に打ち込みたいと、康子さんの実家がある神奈川・川崎へ移住を決意。父建臣さんを残し、母と2人で島を出た。康子さんの父、祖父晃二さんはシニアの元指導者。練習がない平日も付きっきりの指導を受け、中3でシニア日本代表に選ばれた。

中学初日「奄美大島からプロ野球選手になるために川崎に来ました ! 」と自己紹介し、周りの度肝を抜いた。サポートを続けた康子さんは「慣れない環境で弱音ひとつ吐かなかった」。求本人は「“わん”(自分)て方言が通じなくて困りました」と懐かしむ。「奄美は自然がきれい。来て下さい」とアピールするほど、島を愛している。

状態を買って抜てきした門馬敬治監督(51)は「3回が目安だった。成長の1歩になるように」と期待を込めた。1回戦同様、エース石田をリリーフに回し、無失点リレーで勝利。求は「絶対このまま優勝しますと(おじに)伝えます」と頂点を見た。【古川真弥】

▽東海大相模・石田(2番手で5回5安打無失点)「腕を振って最初からいけたのは良かった。(先発の求には)『自分のペースで準備しろ』と言いました」

▽東海大相模・門馬監督(2試合続けて継投で勝利)「1週間500球の制限はありますが、オーバーするのはなかなか考えにくい。先を見ずに、目の前の1戦にベストな起用をしたい」