名将がまた1人、この世を去った。春夏の甲子園で1度ずつ準優勝し、東北高監督時代にダルビッシュらを育てた若生正広(わこう・まさひろ)氏が27日朝、宮城・仙台市内の自宅で肝細胞がんのため死去した。70歳だった。

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「元気にしてんのか?」。甲子園での再会も、たまにかかってくる電話も。いつも第一声は、こちらの体を気遣う優しい言葉だった。東北、九州国際大付などで33年も選手の育成に人生を注いできた若生監督。ヤクルト雄平には「いい子すぎるんだよ」と優しくほほ笑み、ダルビッシュ入学時には、幼少時に受けたいじめに心を痛めた。厳しい指導で知られるが、野球を離れると、常に選手の体と心を気遣う優しさにあふれていた。

20年3月に埼玉栄の総監督を退任し、家族が住む故郷・仙台に移り、療養を続けていた。そこで献身的に看病を続けていたのが、妻の正子さんだった。昨年、仙台を訪ねた時には「なぁヨシネー、うちの奥さん、いい人でしょ? かわいいでしょ?」と、照れくさそうに話してくれた。そして、人生でやり残したことに「奥さんと旅行がしたいなぁ」とつぶやいた。

今年6月、一時体調が回復し福岡へ旅行を兼ねて教え子の野球を見に行ったと聞いた。夢が1つかなったのだとうれしくなった。しかし、その旅先で体調を崩し入院。仙台に戻り治療を続けていた。そして7月27日早朝、正子さんと静かに会話をしながら息を引き取ったという。

選手の育成に命をかけ、愛情を注ぎ続けてきた闘将。最後は奥様の愛情を独り占めして、穏やかに旅立った。若生先生、かっこよすぎるよ。【アマチュア野球担当=保坂淑子】