山梨学院・吉田洸二監督(53)が再び、優勝を手にした。甲子園通算21勝。輝かしい成績だ。

高校の校門に立ち、登校する生徒たちに「おはよう」と声をかける先生がいた。13年、就任したばかりの吉田監督だった。吉田正校長(67)は「野球部の監督という前に、教員としての気持ちがあるからできることだと思う。普通、そんなことはできません。『センバツ優勝監督です』なんていう態度は、当時から全くなかったです」と明かす。

県立の清峰(長崎)で06年センバツ準優勝、09年センバツ優勝。山梨学院大のOBで、その手腕が見込まれて、付属校野球部の強化に乗り出していた古屋忠彦前理事長から声がかかった。

親子鷹として、初の甲子園優勝を果たした。鬼部長と、フォローする監督。そんな親子の関係が、しっくりきている。吉田健人部長(26)は監督の長男。清峰を経て山梨学院大に進学し、学生コーチを務めて20年から部長に就任した。普段の練習メニューや練習試合の手配などは、すべて部長が行う。監督は、見守る役割だ。指揮官は「選手がずっと部長に怒られていても、私が知らずにアイスあげたり(笑い)。強く厳しく言いすぎているな、と思った時はちょっと軽くフォローはしているつもりです」。そのあんばいは、親子ならでは。あうんの呼吸で指導をする。

今大会途中から、ベンチの監督に笑顔が増えた。2回戦で氷見(富山)、3回戦で光(山口)と県立と対戦。相手チームのプレーで、目が覚めた。「氷見高校と光高校の生徒の顔と、指導者の顔を見て、甲子園は自分が勝つためにあるんじゃなくて、生徒の思い出に残るための楽しむ場所だと湧いてきました。そして、山梨学院で10年間、すっかり忘れていたことがよみがえってきました」。甲子園は勝つ場所ではなく、楽しむ場所。進藤天主将(3年)は「(大会中に)笑顔が本当に増えた」と変化を明かす。清峰時代の教え子にあたる元広島の今村猛氏(31)も「監督は、本当に笑顔が多かったです」と振り返る。

監督が楽しんで、選手も楽しんだ甲子園。待っていたのは、最高の結末だった。

◆吉田洸二(よしだ・こうじ)1969年(昭44)5月6日、長崎・佐世保市生まれ。佐世保商高で2年夏に長崎大会4強。山梨学院大を経て01年から13年まで清峰(長崎)監督。同校で春夏通算5度甲子園に出場し、06年センバツ準優勝、09年センバツ初優勝。12年はU18世界選手権の日本代表コーチ。13年から山梨学院大付の監督就任。甲子園は春夏通算で15度出場。教え子は、清峰時代に元広島今村猛、元オリックス古川秀一、ロッテ中村稔弥。山梨学院で中日垣越建伸。趣味は釣り、パワースポット巡り、メダカ飼育。血液型B。

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