大激戦区の兵庫大会は、社(やしろ)が明石商との公立対決をサヨナラで制し、3季連続の甲子園を決めた。9回表に追いつかれたその裏、8番藤井竜之介内野手(3年)が中前打を放ち、激闘に終止符を打った。

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決着をつける打球が中前で弾むと、藤井は右腕を突き上げた。4-4、あと1死で延長タイブレークに突入する9回2死満塁。8番藤井竜之介内野手(3年)が中前に劇的な一打を運び、2年連続の夏の甲子園をつかみ取った。「自分が決める」。強い覚悟で3球目のカットボールを振り抜き、一塁を駆け抜けると本塁付近にできた歓喜の輪に全力疾走で引き返した。

「みんながつないでくれて(回ってきたのも)運だなと。(抜けた瞬間)これで甲子園かと鳥肌が立った打ててよかった」。今年のチームスローガン「笑頂(しょうちょう)」を実現した自身初のサヨナラ打。興奮は収まらなかった。

9回表にスクイズで追いつかれ、嫌なムードが漂った。それでも冷静に、持ち味のつなぐ野球を完遂。それは本番に強い心を宿すことを目的とする「スーパー・ブレイン・トレーニング」の成果だった。ナインはこの日の試合前に約5分間、優勝の瞬間と最悪の場面の両方をイメージ。シビれる展開でも力を発揮できるように気持ちを落ち着かせ、最終決戦に臨んでいた。

甲子園は3季連続だがリベンジの思いも強い。昨夏の初戦はコロナ禍で主力を欠いた県岐阜商に快勝したが、2回戦で二松学舎大付(東東京)に敗戦。今春センバツは初戦で海星(長崎)に敗れた。このままでは夏の兵庫も勝てない。主将の隈翼(くま・つばさ)内野手(3年)は強いキャプテンシーでチームを鼓舞。他の3年生がフォローする形で全体がまとまり、一丸のチームができ上がった。

隈は甲子園出場時に、学校名にふりがながつくことを苦笑いで振り返る。「まだまだ知られていないんだなと。兵庫の野球と言えば、社と言ってもらえるような『象徴』になりたい」。甲子園でも進撃し、「YASHIRO」を全国にとどろかせる。【村松万里子】

◆社 1913年(大2)に小野実科高等女学校として創立の県立校で今年110周年。1948年(昭23)から現校名。生活科学科、体育科、普通科で生徒数は700人(女子383人)。野球部は1949年(昭24)創部で部員数66人(うちマネージャー6人)。甲子園出場は春2度で夏は2度目。主な卒業生に阪神近本光司、楽天辰己涼介ら。加東市木梨1356の1。中井修校長。

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