日刊スポーツ編集委員・寺尾博和のインタビュー企画「寺尾が迫る」は、朝日放送(ABC)テレビのシニアアナウンサー・中邨雄二さん(62)の登場です。
夏の甲子園大会で数多くの高校野球の青春ドラマを語ってきたプロフェッショナルに、甲子園ベスト3の熱戦をあげてもらった。
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寺尾 甲子園大会の実況デビューはいつですか。
中邨 1987年(昭62)、入社3年目の第69回大会3日目の第3試合、柳ヶ浦(大分)対帯広北(北北海道)でした。スポーツアナとして阪神戦を担当したかったので、高校野球は登竜門の感覚でした。
寺尾 現場で心がけていることはどのようなことでしょうか。
中邨 私自身は“クラブ活動”という思いを忘れないようにしています。人気選手が出てくると、半ばプロ扱いするようなことは控えます。今年も佐々木麟太郎君(花巻東)、真鍋慧君(広陵)らスター候補がいますが、かといって出場できない選手も頑張っているよという視点は常に持ち続けているつもりです。高校野球なので「トンネル」とか球児のマイナスになるような表現は省いています。
寺尾 ベスト3試合の3番目からお聞きします。
中邨 1993年の第75回大会の徳島商(徳島)対久慈商(岩手)の雨にたたられた一戦です。
寺尾 0対7で大差をつけられた徳島商が8回に7点を奪って同点、続く9回にサヨナラ勝ち。記録的な大逆転でした。
中邨 久慈商の体の小さい2年生エース宇部君がガタッとおかしくなって、監督も甲子園の雰囲気にのまれてしまったかのような試合でした。
寺尾 徳島商・川上憲伸投手の7失点も驚きでしたが、久慈商は8回の1イニングに7長短打を集中されて追いつかれます。
中邨 実は年末の番組で久慈商の畠山監督をインタビューした際、8回はワイルドピッチを指示しようと思ったというんです。とにかく相手打線がつながって終わりがないので、塁上の走者を消してしまえば、また流れを切って戦えるのではと考えたようです。
寺尾 わざと暴投しろと?
中邨 ええ。でも抑えて勝ちたいと思って戦う選手と、ベストを尽くさせたい監督の思いが交錯し、その指示は出せなかったとおっしゃった。どうすることが教育者なのか逡巡されたわけです。わたしが監督の表情をよく見るようになったきっかけになった一戦かもしれません。
寺尾 では2番目の試合を教えてください。
中邨 92年の第74回大会7日目(8月16日)、松井秀喜選手が全5打席で敬遠された明徳義塾(高知)対星稜(石川)です。一時中断される騒動も、実況した先輩アナウンサーの植草貞夫さんの語り手として恐ろしいまでの冷静な仕切りはショッキングで「参りました」という気持ちでした。
寺尾 植草さんといえば85年8月21日宇部商(山口)対PL学園(大阪)で「甲子園は清原のためにあるのか!」という名実況が伝説です。
中邨 植草さんからは「奇跡」「史上最高」「劇的」など刺激的な言葉を簡単に使うものではないと教えられました。少し前に植草さんとお会いしたとき、当時について「なんの用意もしていなかった」とおっしゃった。でも清原君の最後の一戦、これ以上いない高校野球人、その万感の思いをきっちりと言いのけた勝負度胸です。でも私にとっては「松井の5敬遠」の実況のほうが印象が強いんですよ。
寺尾 どういう意味で?
中邨 植草さんは松井選手の第1打席から最後まで「勝負はしません」と言って貫くんです。甲子園全体が騒然とし、北陽監督を務めた解説の松岡英孝さんも「勝負してほしいですね」と熱くなりましたが、植草さんだけが、あおりも、けなしもせず、淡々と中継なさるわけです。「ゆっくりとバットを置いて松井秀喜が一塁に走っていきます…」とね。
寺尾 明徳義塾に「帰れコール」が起き、高野連・牧野直隆会長が「勝負してこそ高校野球」と試合後談話を発表するほどでした。
中邨 植草さんは先を見通していたんじゃないかと思います。「勝負はしません」と繰り返し、最終打席も「勝負はしません!!」とピシャっと締めた。
寺尾 スポーツ記者も読者を感動させるのは美辞麗句ではないと思うんです。
中邨 松井君に与えられた運命だとか、空前絶後などとは言わない。ひたすら「勝負はしません!」で押し通した。“魂の一言”ですべてを感じさせたわけですよ。
寺尾 松井君に「ゴジラ」とニックネームをつけたのは日刊スポーツの赤星美佐子記者。スターダムをのし上がったゴジラ松井の原点ではないでしょうか。
中邨 もし星稜が勝っていれば、これほどのドラマとして記憶には残らないかもしれません。敗れ去ったからこそ松井君は神格化されていった。バットを投げつけるでもなく、お立ち台でも「勝負してほしかった」とは一言も言いませんでした。後に巨人で大選手になりますが、打率、打点、本塁打の数字で証明される前から、それだけの威圧感を同世代に与え続けたわけです。
寺尾 中村阪神が新庄、亀山フィーバーでV争いをした年。松井君も阪神ファンでしたね。
中邨 阪神にはドラフトで松井君を引いてもらいたかった(笑い)。星稜山下監督は残念ながら優勝には届かなかったが、箕島(和歌山)との死闘に、この一戦を采配した指導者として、優勝監督以上の経験で、今でもずーっと話を聞いていたい方です。明徳義塾の馬淵監督も「生徒たちにあれこれ言うのはやめてくれ、決めたのはおれ、選手は忠実にやってくれた」と潔かった。もっと天才的な言葉のつなぎ、言葉のスピード感、勢いと強さで迫力を生かす術はあったかもしれません。でもこの実況を超える正解はないと思っていますし、わたしにとって“永遠の教科書”です。
寺尾 ではNO・1は?
中邨 第100回記念大会の18年準々決勝で実況した金足農(秋田)対近江(滋賀)です。
寺尾 1点ビハインドの金足農が9回裏無死満塁から2ランスクイズを成功させての逆転勝ちです。
中邨 高校野球の実況に携わって以来、2ランスクイズで決着がついた経験は初めてで、わたしは「スクイズ~っ!」と口にした。すると集音マイクが近江捕手・有馬君の「投げるな!」という声を拾うんです。重なるように、隣で解説の尽誠学園(香川)を甲子園出場に導いた椎江博監督が「あっ、ツーラン!」とつぶやいた。もともと先読みをする方ですが、二塁走者でスタートを切った菊地君の加速ぶりに察したんでしょうね。
寺尾 公立校の4強は9年ぶり。“カナノウ旋風”の勢いが奇襲に表れた?
中邨 実は試合前に近江の多賀監督から自身が育てた最高の捕手が有馬君であることを打ち明けられました。菊地君の異常なまでのスピードに「投げるな!」と叫んだ。あそこでそれが言える捕手は高校生ではお目にかかれないでしょう。とっさに反応したのは修練を積み重ねてきたからこそ口を突いた一言です。一方、満塁からのスクイズで最悪ゲッツーの可能性もあります。そこでギャンブルを仕掛けた金足農・中泉監督の選手を信頼した勝負勘も素晴らしい。攻守に凝縮された名勝負でした。
寺尾 金足農・吉田輝星投手は左股関節痛を押しながらの完投勝ちでした。
中邨 近江の攻撃だった6回表1死一塁、吉田がスピンのかかったような小フライをショートバウンドでさばくや二塁送球で併殺を成立させた。わたしは「吉田がダブルプレーを仕立て上げました!」と声を上げるんです。後で武田和歌子アナウンサーから「さすが、雄二さん」とお褒めの言葉を掛けられましてね。“仕立て上げた”という表現がいかにも意図を込めたプレーだったことが伝わったと思うと照れくさかった。
寺尾 環境、ルール、さまざまなものが変わった高校野球の今後の在り方をどう考えますか。
中邨 昔とまったく変わらずにとは言わないし、そうであり続ける必要もないと思っています。水も飲まず、投手ならけいれんしてでも延長18回を投げ抜く覚悟でって、そんな過去とは一線が引かれ、もはやあの時代は帰ってこないとは分かっています。でも心のどこかに厳しくもある魂を込めた高校野球であってほしいという“大人のエゴ”とのはざまを、今もさまよいながら中継しています。(敬称略)
◆中邨雄二(なかむら・ゆうじ)1961年(昭36)8月12日、滋賀県生まれ。朝日放送テレビ・シニアアナウンサー。プロ野球をはじめスポーツ中継を担当、「サクサク土曜日 中邨雄二です」(土曜日午前7時半~10時)に出演している。