沿岸の被災校がクローズアップされる中、岩手内陸の球児も震災余波と闘っている。専大北上の主将、中村晃広(3年)。今は内陸部の北上市内で寮生活を送るが、中学まで育った沿岸部の大槌町が、津波で壊滅的被害を受けた。父秀知さん(享年59)を亡くし、祖母ミンさん(86)は行方不明。海岸から約400メートルの自宅は跡形もなくなった。

 父は海を愛する漁師だった。北海道方面へ漁に出れば、長く帰ってこられなかった。「忙しい人でしたが、大会の応援には駆けつけてくれた」。今夏も、中村はスタンドを見上げて父の姿を探し、勝利を届けようと思っていた。それが、居場所すら分からなくなった。捜しに故郷へ戻りたかったが、黙々と練習した。「主将が、チームを離れるわけにはいかないので」。

 本音は、違った。「現実を受け止めたくなかったんです。野球している時だけは、悲しい気持ちを紛らわせることができるから」。

 5月1日。覚悟はしていたが、受けたくはない連絡が入る。秀知さんの遺体が見つかった。海の底に沈んでいた。中村は、火葬に立ち会うため同4日に帰郷することになった。出発前に仲間を集め、こう言った。

 「父親が見つかった。俺は今日から、家族を亡くしたことを忘れる。みんなも俺にあったことは忘れて、野球に集中してほしい」。

 祖母ミンさんは、震災から4カ月がたとうとしている今も行方不明だ。悲しみをしまい込んだのは、チームメートのためだった。「本当は現実なんて口にしたくない。でも、仲間に心配をかけるのが嫌だった」。

 母親は鳥取県に住む姉夫婦を頼って岩手を離れた。中村は甲子園を目指して1人で県内に残った。寂しさを紛らわすアイテムは、寮の自室に置くキーリング。秀知さんが糸やひもなどをくくる時に使っていたものだ。「父が発見された時、ポケットの中に唯一残っていた」という形見を触って「野球に集中しよう」と闘志を保っている。

 6月14日。やっと、秀知さんの告別式を執り行うことができた。火葬前は、顔を見なかった。「見ようと思えば、見られたんですけど。最後の別れをしたと思わなかったし、おやじの笑顔を、忘れたくなくて」。

 最後の夏。14日の福岡工戦から、絶対に忘れられない戦いが始まる。中村は告別式で、父の遺影に語りかけてきた。「おやじ、もう頑張らなくていいから。楽に見ていて。今度は俺が、頑張るから」。【木下淳】