<高校野球岩手大会:盛岡工5-2高田>◇16日◇2回戦

 東日本大震災で壊滅的被害を受けた高田が、初戦で盛岡工に敗れ、激動の4カ月に幕を引いた。2回に滝田慎三塁手(2年)の適時打などで2点を先制し、応援席の同級生や陸前高田市民を沸かせた。だが、最後は昨夏16強の古豪に逆転負け。佐々木明志監督(47)は目を潤ませた。「選手はよくやった。短かったなぁ…」。

 高田は学校全体で23人の死者・不明者を出し、野球部員57人の3分の1が自宅を流失。佐々木監督は震災直後、津波から生還した生徒から「つないでいた妹の手を離して、自分だけが…」と泣きつかれた。野球どころではない、と思った。

 あれから4カ月。この日対戦した盛岡工を含む県内外の高校の施設を借り、全国から届く用具を使って、高田は練習を重ねた。敗れはしたが、元気な姿は見せた-。その自負はあるが、佐々木監督は複雑な表情で吐露した。「こんなに早く下ろしたくはなかったんだけど、肩の荷が下りた」。

 いつしか高田は復興の象徴になり、過度の期待がかかっていた。震災後初の公式戦となった5月の地区大会に、30社を超える報道陣が殺到。昼夜問わず選手宅にテレビ局が押しかけ、問題になったこともあった。

 ただ、市民との絆は確実に強くなった。3・11。部員は津波でぬれた人に自らの制服を貸し、高齢者を背負って高台に逃げ、食料も譲った。その時、助けられた市民が今も学校に感謝に来る。「卒業後、陸前高田のために働く」と話す部員も増えた。試合には負けてしまったが、号泣する大和田将人主将(3年)らに応援席から声が飛んだ。「胸を張って、陸前高田に帰ってこい」。【木下淳】