北照の144キロ左腕、斎藤綱記投手(3年)が24日、北海道高野連にプロ志望届を提出し、日本高野連に受理された。関東の強豪社会人チームや大学の誘いをすべて断り“プロ1本”で勝負。小樽市内の同校で取材に応じた斎藤は「楽しみでもあるし、不安もある。今は、指名されることだけを考えている」と、約1カ月後に迫った運命の日へ、思いをはせた。プロ野球ドラフト会議は10月23日に行われる。

 午前中にプロ志望届を道高野連に提出した北照・斎藤は「やっと、ここまで来たんだなという気持ち」と、晴れやかな笑顔を浮かべた。道内関係の高校生では、プロ志望届提出第1号。最速144キロの真っすぐに鋭い縦のスライダーを誇る道内屈指の本格派左腕は、強豪社会人チームや大学からの誘いを断り、進路をプロ一本に絞った。もちろん、12球団どこでもOKだ。「どこからも指名がなかったら、コンビニでバイトだな」という河上敬也監督(55)のキツ~イ冗談に苦笑いも「今は指名されることだけを考えています」。この日までに、6球団から調査書を受け取った。

 次のステージを思い描き、すでにエンジン全開で走りだしている。優勝候補の一角と思われた今夏、小樽地区予選代表決定戦で、まさかのコールド負けを喫した日から84日。「負けて3週間ほどは、野球をしたいという気持ちになれなかった」と言いながらも、2日後には投球練習を再開。柔軟や体幹などのトレーニングをこなし、土台となる体作りに専念してきた。「肩甲骨の可動域が広くなって、股関節も柔らかくなった」。右足の踏み込み幅は半歩広がった。下半身を使って投げることで、球持ちが長くなり、投球後に体が流れる悪癖も改善された。

 昨秋のドラフト会議でオリックスに5位指名された吉田雄人外野手とは、寮で同部屋だった。「自分も来年、あんな風になりたいと思うようになっていた」。今春からは、ヤクルトでエースとして活躍した松岡弘氏(67)が同校の臨時コーチに就任するなど、夢でしかなかったプロが、ぐっと現実味を帯びてきた。「指名されなければ、そこまでの選手。楽しみでもあるし、不安もある」。すべての退路を断ち、運命の1日を待つ。【中島宙恵】

 ◆斎藤綱記(さいとう・こうき)1996年(平8)12月18日、札幌市生まれ。札幌新光小3年から野球を始め、一貫して投手。北照では2年夏の甲子園で、1回戦の常総学院(茨城)戦で救援し、2イニングを無安打に抑えた。同年秋の小樽地区代表決定戦では5回参考ながら完全試合を達成。縦横のスライダーのほか、チェンジアップ、カーブ、スプリットを操る。家族は両親と兄妹。180センチ、83キロ。左投げ左打ち。<プロ入りした北照出身の選手>97年

 大脇浩二(内=ヤクルト3位)99年

 米野智人(捕=ヤクルト3位)00年

 上村和裕(捕=オリックス3位)05年

 加登脇卓真(投=巨人3巡)06年

 植村祐介(投=日本ハム3巡)07年

 矢内田敦士(捕=巨人育3)10年

 西田明央(捕=ヤクルト3位)10年

 又野知弥(内=ヤクルト4位)11年

 西森将司(捕=横浜育2)13年

 吉田雄人(外=オリックス5位)※左から年、選手名(位置=球団、順位)※順位はドラフト順位。05~07年は分離ドラフト。11年西森は北照からホンダ、四国IL・香川を経て入団