先日、米南部テネシー州ブリストルを訪れ、米最大のモータースポーツNASCARの象徴的なコースとして有名な「ブリストル・モータースピードウエー」で行われたメジャー初の公式戦「スピードウエークラシック」を堪能して来ました。そこはバージニア州との州境に位置する双子都市。カントリーミュージック発祥の地であり、街の外れにアムトラックの歴史的な鉄道駅、中心部には「スピードウエークラシック」の催しも行われた史跡的なパラマウント劇場など、見所がいろいろありました。
私にとってブリストル滞在中、どうしても行きたい場所がありました。1911年創立という歴史あるアパラチアン・リーグに所属するチームの本拠地球場。また、米プロ野球の長い歴史において、さんぜんと輝く偉業が達成されたデボーメモリアルスタジアムです。
1950年、パイレーツにロン・ネッチアイという一塁手が入団しました。翌年打撃不振で投手に転向し、長身から投げ下ろす剛速球とカーブで頭角を現しました。52年、19歳の時に同球団傘下D級ブリストルで開幕4連勝。43イニングで109奪三振と驚異的な成績を残しました。
そして、5月13日に本拠地球場で行われたウェルチ戦。初回から3者連続奪三振と最高の立ち上がりを見せました。しかし、試合前から持病の胃潰瘍に悩まされ、試合中も胃の痛みを訴えていました。そこで監督からチーズをもらい続投。これが効いたようです。
序盤は2回4番打者の遊ゴロ、3回先頭打者の一ゴロ失策を除いて全て三振。中盤以降、相手はバント作戦に出るもののファウルにするのが精いっぱい。8回まで2四死球と1失策だけでヒットを1本も許さず。実に24アウト中23個が三振でした。
9回も簡単に2者連続で三振を奪います。最後のバッターも空振り三振で試合終了と思いきや、わざと捕手が捕逸して振り逃げ。その上で次の打者から三振を奪い、何とノーヒットノーランに加えて27奪三振という前人未到の偉業を達成しました。ドジャース大谷翔平投手も聞いたらビックリ仰天の金字塔です。
ちなみに、次の先発もヒット2本を許したものの24奪三振と快投。何と2試合で合計51奪三振という、これまた2度と破られないような記録を樹立。1947年ドジャースで初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンを登用したブランチ・リッキー代表も「これまで見て来た投手の中でベスト3に入る」と賛辞を贈りました。
こうして、その年8月に弱冠20歳で大リーグデビュー。全米の注目を集めましたが、12試合に登板して1勝6敗、防御率7.08と振わず。何しろ、54イニングで31奪三振より多い32与四球というノーコンぶり。若い剛腕投手にありがちな制球難にあえぎました。
さらに翌年、朝鮮戦争に駆り出されて胃潰瘍を悪化させて体重が激減しました。帰還後、大リーグ復帰を目指すが右肘を痛め、23歳の若さで引退を余儀なくされました。
結局、メジャーでは1勝しか挙げられませんでしたが、米プロ野球史上唯一の1試合27奪三振を達成した投手として後世に語り継がれています。
地元の記者に聞いて、ブリストル市内から北へ約7、8キロ。バージニア州側にあるデボーメモリアルスタジアムに到着しました。場内にはネッチアイの偉業をたたえる記念碑があるようですが、残念ながら試合がなく、外野後方の高台からしか見ることはできませんでした。
実際に偉業を達成した球場は既に取り壊され、現在の球場から1.5キロほどのゲートシティハイウエーとキャサリン通りの交差点にあったようです。その場所に行って見ると、残念ながら当時の面影はなく、情景を思い浮かべるしかありませんでした。それでも、このあたりで伝説の偉業が達成されたかと思うと、胸が熱くなりました。
【大リーグ研究家・福島良一】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「福島良一の大リーグIt's showtime!」)




