MLBは28日(日本時間29日)、「ジャッキー・ロビンソン・デー」として全選手が初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンの背番号「42」を背負ってプレーした。例年は4月15日に行われるが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期された。1945年の8月28日は、ロビンソンがブルックリン・ドジャース球団事務所で3時間に及ぶ入団へ向けた話し合いを行った日。野球界が人種差別の壁を破るきっかけとなった。不当な黒人銃撃事件が相次ぐ中での特別な1日。MLB担当記者の思いを送る。

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先日、滞在先ホテルのエレベーター内で見知らぬ宿泊客と一緒になった。「僕らはグッドな人間だ。ちゃんと社会的距離が保たれているからね」と冗談交じりに話しかけられた。

普段、ランニングや散歩で人とすれ違えば、相手は手を上げて会釈をしてくれる。停留所でバスを待っている時、バーで飲んでいる時、球場で野球を見ている時、日常のさまざまな場面で初対面の人同士がフランクに会話を交わす。自分もその輪に入ったことが、何度もあった。そこに人種や老若男女の壁はない。

アメリカ生活の数年間で、差別を感じたことがないとは正直、言い切れない。ただそれ以上に、異なる人種や他文化を受け入れてきた歴史が長いアメリカだからこそ、平等を重んじていると感じることも多々ある。

例えばエンゼルスの取材現場にしても、大谷翔平投手(26)について日米メディアで順番に質疑応答が行われる。他球団の日本人選手も同様で、日米で均等に取材の機会が設けられている。逆もしかりだ。昨年のワールドシリーズ王者、ナショナルズのエース右腕シャーザーに、試合後のシャンパンファイト時に突撃。ほとんどが米国人の記者でごった返しになっている中で「日本のファンもたくさん見ている」と声をかけた。「世界中にファンがいるのはうれしいよ」と大きな声でしっかりと答えてくれた。

基盤には互いをリスペクトし、理解し合う精神がある。今回、メジャーの各球団が抗議の意思を示したが、エンゼルスとマリナーズの選手たちが腕を組んだように、表現の形もさまざま。個々の色があっていい。

それが米国の良さであることを信じたい。【斎藤庸裕】

◆ジャッキー・ロビンソン 1919年1月31日、米国ジョージア州カイロ生まれ。UCLAでは野球、フットボール、バスケ、陸上の4種目で活躍も退学。陸軍に召集されるも、黒人差別を受けたこともあり除隊。45年ニグロリーグのカンザスシティー・モナークス入団。46年はドジャースのマイナーチームに加入し、3割4分9厘、40盗塁。47年4月15日、黒人初のメジャーリーガーとしてデビューし、盗塁王、新人王。49年首位打者、盗塁王、MVP。49~54年球宴出場。57年現役引退。62年野球殿堂入り。72年10月24日、心筋梗塞のため53歳で死去。同年42番がドジャースの永久欠番となり、97年から全球団の欠番に。04年4月15日、選手全員が42番を着ける「ジャッキー・ロビンソン・デー」が制定。現役時代は180センチ、88キロ。右投げ右打ち。