本物の二刀流-。エンゼルス大谷翔平投手(27)のメジャー4年目の飛躍と今後への期待を、ベーブ・ルースの孫であるトム・スティーブンスさん(69)が語った。数々の功績を残してきたルースの伝説を後世に伝えてきた親族の1人。ルース以来103年ぶりの「2ケタ勝利&2ケタ本塁打」は来季以降へ持ち越しとなったが、偉業達成へ激励のメッセージを添えた。レジェンドの記憶をたどり、過去と重ねながら、投打でプレーできる能力を証明した大谷の勇姿をたたえた。

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エンゼルスと契約するまで、彼の存在は知らなかった。日本での実績もあり、多くの日本人選手が成功しているが、メジャーレベルで両方をやるのはとてもレアなこと。おそらく、彼を知った時の感覚は、「OK, show me(さぁ、見せてくれ)」だったかな。アメリカに来て私たちも存在を知って、そして「Show us(みんなに見せてくれ)」と。

1年目は“打てる”ことを示してくれた。104試合で22本塁打。皆、彼にパワーがあることが分かった。ただ、投手としての力はまだ証明されなかった。だから今年、最も驚いたのは投手での成績。過去にケガもしてきたけど、持ちこたえて今いい状態を保っている。そして、彼が何ができるのか見せてくれている。

ショウヘイはすごく勇気があると思う。ステップアップしても、二刀流でやりたいと。反対に、二刀流になることはベーブの意思ではなかったんだ。彼は、投手から野手へ転向した。だから、もしかしたら2人を比較するのはフェアではないのかもしれない。(実質の二刀流として)最後に投げた年の1919年、レッドソックスは彼に投げることを強く勧めた。いい投手は、野手よりも価値があるとされ、左腕はより重宝されていた。だから、彼らはベーブが投手をやめることを認めようとしなかった。だが、ベーブが打つと観客が球場に詰めかけて、最終的には意向を認めた。彼は野手になりたかったんだ。

もし、彼に二刀流でやりたいという意思があったなら、もっと投げていただろうね。数字も変わっていたかもしれない。ただ、能力には自信があった。ショウヘイも今、自信があるように見える。そういう姿はベーブを思い起こさせるね。

私は祖父が亡くなった4年後に生まれて、直接、会うことはできなかったけど、祖母(ルースの妻クレア)とよく話して、ベーブの全てを聞いてきた。ただ、野球に関することはあんまりなかったんだ。ベーブは野球のことを家に持ち込まなかった。「決して諦めない人間に勝つことは難しい」とか「三振するたびに、次のホームランに近づいている」とか、気持ちを高める言葉はあったけど、ほとんどの話は家族とのこと。たとえば彼がどんな風にクリスマスツリーを飾っていたか、サンクスギビング(感謝祭)のターキー(七面鳥)をどう作っていたか、そういう話だったね。

私たちは日本と何かつながりがあるのだとも思う。1934年にベーブが日米野球に出場した時、私の母も一緒に行って、日本が本当に好きになってね。旅行のことをとてもよく覚えていた。私はまだ日本に行ったことがないけど、小さいころから武道をやっていた。今までで最も日本に近づいたのは成田空港での乗り換えの時かな(笑い)。いつか、日本に行きたいんだ。

ショウヘイは、日本だけでなくアメリカでも野球への熱狂を呼んでいる。すごくナイスガイで、人々は彼の成し遂げていることに興奮しているし、ベーブもきっと応援する。みんなが彼の成功を祈っている。

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ショウヘイさんへ

ルース家を代表して、あなたの非常に優れたパフォーマンスを祝したい。あなたがやってきたことは、本当に驚くべきものです。私たちは、あなたがどれだけ素晴らしいピッチングができるかを見てきました。そして、これから成し遂げていくことを本当に楽しみにしています。あなたは見ていてエキサイティングなプレーヤーで、それは野球にとっていいことです。もし、ベーブがここにいたら、こう言うでしょう。「さぁ行け、ショータイム!」

幸運をお祈りしています

トム・スティーブンス&ルース家より

◆トム・スティーブンス 1952年8月28日生まれ。米国ニューハンプシャー州出身。ベーブ・ルースの養子の娘ジュリア・スティーブンス(102歳で死去)の1人息子。大学まで野球を続ける。卒業後の81年に石油関連会社に就職。その後、サウジアラビア、タイ、パキスタンで土木技師として働く。専門分野は道路と橋の建設。最近ではアフガニスタンで軍事目的で橋の建設に携わった。現在は息子とともに、ルースの伝説を語り継ぐウェブサイト「ベーブ・ルース・セントラル」を運営している。