【ロサンゼルス(米カリフォルニア州)15日(日本時間16日)=斎藤庸裕】ドジャース大谷翔平投手(29)が、黒人初のメジャーリーガーが誕生したジャッキー・ロビンソン・デーで2得点を記録したが、3試合連続ノーアーチに終わった。ナショナルズ戦に「2番DH」で出場し、3打数1安打1盗塁。松井秀喜氏に並んでいる日本人メジャー最多の本塁打数更新はならなかった。チームは先発グラスノーが5回8安打6失点の乱調。投打がかみ合わず、2連敗を喫した。

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背番号「42」の大谷に1発は出なかった。3点を追う7回2死一、二塁、ナショナルズの4番手ハービーの外角低め直球をセンターへはじき返したが、中直で凡退。2点差の9回、1人出塁すれば大谷に5打席目が回り、1発なら同点となる状況も3者凡退。目前で試合終了となった。ロバーツ監督は「9回に誰か出塁すれば(大谷に回って)試合は続いたかもしれない。彼は特別だ。捉えればすごい打球が飛んで、何かいいことが起こる」と期待していたが、かなわなかった。

ジャッキー・ロビンソン氏が黒人初のメジャーデビューを飾ったのは1947年4月15日。人種の垣根を越え、同年に新人王、2年後には首位打者とMVPを獲得した。同氏が10年間、唯一プレーした古巣であるドジャースにとってはより深い意味がある。日本人の母を持つロバーツ監督は言っていた。「今日は特別な日。野球だけでなく、全てのスポーツにとって」。

午後2時半すぎ、ロビンソン氏の銅像があるドジャースタジアムのセンター後方に両チームが集結。両軍の監督、巨人で2年間プレーしたレジー・スミス氏、社会学者のDr.ハリー・エドワーズ氏ら約30分のスピーチに、大谷は同僚の山本と並んで耳を傾けた。試合前にはド軍の共同オーナーでもあるマジック・ジョンソン氏(64)とツーショットの記念撮影。同氏は試合前セレモニーであいさつを行い、ジャッキー・ロビンソンデーの意味を力説した。

パイオニアとして道を切り開いたロビンソン氏は生前、「他人の人生に影響を与えてこそ、人生には意味がある」との言葉を残した。今や野球界で多大な影響力を持つ大谷。この日は、紙一重でチームの流れを変えることは出来なかった。4月15日にプレーするのは3年連続3度目だが、ドジャースの「42」を背負うのは初だった。日本人メジャーリーガーの最多本塁打(175本)に並んでから、3戦不発。二刀流のパイオニアの挑戦は続く。

◆ジャッキー・ロビンソン・デー 黒人初のメジャーリーガーであるジャッキー・ロビンソン氏をたたえ、デビューした1947年4月15日を記念し、04年から毎年4月15日開催の恒例行事となった。全球団で永久欠番となっている背番号「42」を選手や監督、コーチら全員が着用し、試合を行う。

○…試合前、両軍選手が球場のセンター後方にあるジャッキー・ロビンソンの銅像前に集まった。ドジャースのロバーツ監督は「彼、妻、子供たちに向けられる否定的な感情や憎しみに耐えながら、立ち向かい続けた」とスピーチ。ナショナルズのマルティネス監督は「黒人だけでなくヒスパニック系にもドアを開いてくれた」と感謝。元巨人のレジー・スミス氏は「肌の色に関係なく誰もが試合に出場できるようになったのは、彼が厳しい困難に立ち向かってくれたからこそ」と敬意を表した。

○…MLB公式サイトが、背番号42をつける中日ブライトを特集した。小学校時代に映画でロビンソン氏の苦闘を知り「大学時代もつけるチャンスがあったが、そこでつけてしまうと軽くなってしまうので、一番上のレベルで着けたいと思っていた」と経緯を説明。23年12月、通訳を通じ、タンザニアでロビンソン氏の息子デビッドさんへユニホームを渡したことも紹介された。