今年5月、覚せい剤取締法違反の罪で懲役2年6月、執行猶予4年の有罪判決を受けた元プロ野球選手清原和博氏(49)が、29日に放送されたTBS「ニュースキャスター超豪華!芸能ニュースランキング2016決定版」の中で、一連の事件について赤裸々に語った。スーツ姿の清原氏は少しやつれ、目はうつろ。それでもインタビュアーの質問に対し、表情を変えずしっかりとした言葉で受け答えをした。

●「魔の土曜日」に薬物

 まずは、覚せい剤の使用について「使用するだけで罪悪感っていうんですかね、後悔があって。途中で捨ててしまうんですね。それでもまた買いに行って、その繰り返しでした。それが何日も買いに行ったことにつながった」。

 「魔の土曜日」だったという。土日に息子の野球を見に行き、フェンス越しにその姿を見ていた。「その後、自分の車でなく、違う父兄の車で去って行く姿を見た時に、寂しくなって」。面会日の後とか、息子と会った後には必ず強い孤独感に苛まれ、覚せい剤に手を出したという。

 そして、ことし2月2日に都内の自宅マンションで逮捕された。その当時を振り返り「1月31日に(覚せい剤を)買いに行っています。1月31日っていうのは野球選手にとっては正月を迎える前の大みそかみたいなものです。2月1日がキャンプインですから。そういうのでまた現実逃避したくなって買いに行った。1日に使ったと思います」。

 ホテルで使用後、覚せい剤を家に持ち帰って休んでいたところ「いきなり10人くらいがどどどって来て、初めて警察だと思った。“これ何だ”と言われて“覚せい剤です”。何か俺、幻覚でも見ているのかな、と。覚せい剤で(頭が)もうろうとしていて、現実だと受け止められなかった」。

 午後10時半すぎのことだった。それでも「まだ“えっ”って、現実だとは受け止められなかった。俺は捕まった、どうしよう、どうしよう。頭の中そればっかりだった」。翌午前4時半、留置場の独房に入れられた。「何も考えられず、一睡もできなかった」。

●留置場で「114番」

 そして44日間にわたる留置場生活についても明かした。

 「独房に1人だけだった。取り調べに行くたびに手錠をつけられて、腰縄もつけられて。44日のうち30回以上あったと思うんです」。

 留置場では「114番」と呼ばれた。

 「“114番、飯!” ゴザを入れてもらってひざの上で飯を食べる。常に“114番、調べ!”(手に持っている)このハンカチで顔を隠していたら“114番、顔にハンカチをかけるな!” 自殺防止でもあったと思いますが」。インタビューの最中、手に持っていたハンカチは留置場に入って最初に500円で購入したものだという。それだけ唯一、24時間持つことが許されたのだという。

 「(留置場では)1人では何もできまない。すべて「担当さん」に何かお願いするんです。呼んでも、分かっていても無視されたりします。1回のトイレの紙をもらうのも1回分しかくれなくて。トイレすらままならなかった」。

 最も忘れられない出来事が、5日に1回やってくる風呂だったという。

 「独房ということで一番最後なんです。(風呂場には)髪の毛がたくさん落ちているし、湯船は何が浮いているか分からないような湯船でした。1回15分、常に担当さんに見られています。そこで“114番、風呂の栓を抜け!” 湯船に手を突っ込んで栓を抜いた時、自分の情けなさで涙が出た。この手で薬物を使い、この手で野球もした。この手が汚い風呂の栓を抜いている。その日は一睡もできませんでした。つらい思いをしないと、この薬物という化け物、怪物、悪魔、どんな言い方がいいのか…、無理だと思います。自分の力でやめられない」。

 覚せい剤に手を出したことで、多くの人が周りから去って行った。それでも手を差し伸べてくれた人物がいた。元プロ野球選手の佐々木主浩氏だった。情状証人として裁判に出廷。その後のテレビインタビューに「(出廷は)友達だから即決しました」と答えていた。その場面を見たという清原氏は「本当にうれしかったです。弁護士を通じて、逮捕されて一番のメッセージが“何かできることがあれば言ってくれ”だった。本当に感謝しています」。

●執行猶予は死ぬまで

 5月に結審した裁判では懲役2年6カ月、執行猶予4年。清原氏は「体が硬直して頭の中が真っ白になった。重いとも軽いとも思わない。何年でなく、罪に罰せられるんだな、と。執行猶予は4年ですけど、罪は一生続くと思っています。猶予は死ぬまでだと思いますから。父は温厚な人間ですが、その父から“和博、これからが勝負や”と厳しい口調で言われた。これからの人生で負けるな、俺もサポートする。おまえは俺の息子や。死ぬ気で頑張るからおまえも頑張れ、と。こんなこと言ったら変ですけど、逮捕されてから父との距離が縮まりました」。

 ファンに向けたメッセージを問われると「これからの自分自身の中には、過去は変えられない、背負った十字架はおろせない。前を向いて、更生に向けて一日一日を大切にするしかない」。謝りたい方は? と問われると「やっぱり息子ですかね。きちんと会って、謝りたいですね…」。そう言うと、目に涙があふれた。最初に何を言いたいか? と問われると、しばし沈黙し、言葉に詰まりながら「毎日、そればっかり考えています。なんて声をかけたらいいのか。そんなこと毎日考えています。どの言葉が彼に(かければ)いいのか? 自問自答しています。(言葉は)決まらないですね。自分の父親が逮捕されたこと、そういう姿は二度と見せたくない」。

 最後に2人の息子と会ったのは1月の面会日だったという。あふれる涙ながらに「会いたいですね。こんなアホな父親ですけど、息子に会いたいです。会いたいです」。そう言うと、何度も手で涙をぬぐい、留置場で購入したという小さなハンカチで鼻を押さえた。

●ノートには「自殺」の文字も

 現在は薬物治療の途中。治療期間が終わったとしても、完全に薬物を断ち切ったとは言えない。そんな覚悟をにじませながら「薬物は自分でコントロールできないということを覚えました」。自身の気持ちを書き残すノートには「自殺」の文字もあった。「そういうことを考えている自分もいた」という。また、野球界への復帰については「そこまで考えていません。薬物依存者が野球に失礼です。しっかりと(いつか)野球と向き合えるように、日々努力していきます」。

 地に落ちた元スター選手の、苦しみにあえぐ言葉は重かった。