プロ野球阪急(現オリックス)、日本ハムで指揮を執った上田利治(うえだ・としはる)氏が1日午前2時55分、肺炎のため川崎市内の病院で死去した。日本ハムが2日、発表した。80歳だった。球界からは惜しむ声が相次いだ。

 福本豊氏(元阪急外野手)「体調が良くないことは聞いていた。入団した当時はコーチで、まさに熱血指導の人。監督としては野球というものを常に研究されていた。投手の癖を見抜くなど情報を収集し、アイデアを出し、緻密な阪急の野球をつくり上げた」

 中日加藤秀司2軍打撃コーチ(上田氏は阪急時代の監督)「(11年に)西本(幸雄)さんの(亡くなった)時に体調の件は聞いてました。その時は『できるだけ頑張るわ』と言われてました。西本さんに野球を教えてもらい、上田さんに野球を勉強させてもらいました。残念でなりません」

 日本ハム栗山監督「私の野球の原風景は阪急と巨人の日本シリーズ。近づきたいと思ってやっているけど、全然近づけなくて…。ファイターズの歴史にかかわった方々がつくられてきたものをつなげていくのが(監督としての)使命です」

 日本ハム白井内野守備走塁コーチ兼作戦担当「実績があっても情熱を失うことなく、誰よりも試合にエネルギーを出していた方」

 中日小笠原2軍監督(プロ入り当時の監督が上田氏)「体調がすぐれないとは聞いていましたが、最近良くなったとも聞いていた。ずっと見守ってくれていたので、ただただ残念です」

 阪神古屋2軍野手チーフ兼育成コーチ(日本ハム監督時代に守備走塁コーチ)「開幕前の激励会で1軍に登録された28人1人1人の名前を(何も見ず)読み上げられた。選手のことを思う方で印象に残っています」

 阪神片岡打撃コーチ(日本ハム監督時代に選手)「肘をケガして分岐点になった時に厳しく指導していただいた。あの練習があったからレギュラーになれた」

 阪神金村投手コーチ(日本ハム監督時代に選手)「とても厳しい方で練習もハード。そのおかげで長いこと出来た。中継ぎの時は投げるたび『ええで。ええで』と言ってもらった」

 DeNA上田外野守備走塁コーチ(95年から5年間、日本ハム)「怒られたことの方が多く、その分『なにくそ』って奮い立った。情熱もあり、その中で愛情もあった」

 西武橋上野手総合コーチ(日本ハムでプレー)「(ヤクルト時代の監督の)野村さんは選手と一定の距離を保つ方。上田さんは声をかけて距離を縮める方。タイプの違いに驚いた。野球一筋の熱い方でした」