楽天は東日本大震災から7年の3月11日を、当時の監督だった星野仙一さんの故郷、岡山・倉敷で迎えた。

 楽天今江は、今も鮮明に覚えている。15年、ロッテからFA宣言し、楽天との交渉の場。星野さんから言われた。

 「お前のことは、野球だけじゃなくて、それ以外の社会貢献活動の面でもしっかり見ている。そういうところを若いやつらに広めていってほしい」

 07年から社会貢献活動を始めた。テレビ番組を見て、障がい者の子どもたちの野球事情を知った。「自分たちは五体満足で野球が出来ている。しかもそれを仕事にさせてもらって。何か出来ないかなと」。障がい者野球チームの「群馬アトム」に直筆の手紙を出した。今では毎年オフに訪れる。千葉の養護施設にも訪れ、野球教室を開催するなど子どもたちと向き合ってきた。

 震災が、気持ちをさらに強めた。11年3月11日。ロッテ2軍の浦和にいた。車で自宅まで7時間かかった。「嫁さんが立っていた地面が急に割れたりして。液状化現象もあって」と動揺した。そして福島・いわき市への慰問も始めた。

 その姿を見ていてくれた星野さんが、亡くなった。膵臓(すいぞう)がんだった。「うちの母親も同じがんで亡くなってね」と病室での闘病姿を自然と想像した。「気付いた時には、もう遅いって」と言葉を詰まらせた。「星野さんもそうだった。やるなら、最後までとことんやるべきと思っている」。