日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が球界について幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。今回は香川県のある寺を訪れました。日本ハム初代オーナーをしのび、思うことがありました。

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菜の花が揺れ、津田の松原にある海水浴場を過ぎると、その寺は現れた。香川県大川郡津田町(現さぬき市津田町)にある「法道寺」に、日本ハム創業者、日本ハムファイターズ初代オーナーの大社義規(おおこそ・よしのり)が眠っている。

ひっそりとたたずむ真言宗善通寺派のそれは、大社家だけが檀徒(だんと)の珍しいお寺として知られている。寺の門前で「寺尾で候」と告げると、四代目住職の近藤元継に招き入れられた。夫人の明美が抹茶をたててくれて、しばし話し込んだ。

少年時代をこの地で過ごした義規は、高松に移住し、徳島県に日本ハムの前身である徳島食肉加工工場を創業する。1974年(昭49)日拓ホームフライヤーズを買収し、日本ハムファイターズの経営に乗り出した。

名物オーナーについて近藤は「豪快で、怖かったけど、やさしい方でした」という。プロ野球オーナーで殿堂入りを果たして、ファイターズに愛情を注ぎながら、野球界に貢献し、日本ハムの業績も上がっていく。

万年Bクラスで負の時代が続いたが、選手は「家族」だった。球団経営が苦境に立たされても手放すことはなかった。02年牛肉偽装問題で引責辞任。しかし04年札幌ドーム開場の際は車椅子で姿をみせるなど、常にわがチームの戦況を気にかけたという。

日本ハムは北海道という未開の地に「城」を築き“花”を咲かせる。05年4月90歳で他界したが、翌06年日本一に輝くと、ヒルマン監督に、ダルビッシュら主力が墓前を訪れ、その後も梨田昌孝、栗山英樹ら歴代監督らが足を運んだ。

その由緒ある寺に手土産として持参したのは、06年中日を破って日本一になった札幌ドームで、後にオーナーを引き継いだおいの大社啓二が先代の遺影を胸に、ナインの手によって胴上げされている写真だった。

3月22日、球団役員会が開かれ、オーナーを退いた後で取締役だった啓二の退任が承認された。今までは日本ハムといえば「大社」だった。創業以来続いてきた、長いファイターズの歴史で「大社」の看板が下ろされたのだ。

プロ野球界では名物オーナーと称される経営者に出会う機会がまれになってきた。先人に敬意を表しながらしのんだ後の讃岐からの帰り道、これも時代の流れとはいえ、一抹の寂しさは禁じ得なかった。(敬称略)