あのモーガンが激白! 元DeNAナイジャー・モーガン氏(38)が球団イベント「交流戦SERIES」のスペシャルゲストとして、当時のチームメート長田秀一郎氏(39)との1打席勝負に臨んだ。かつて「MLB最強のクレージー」と呼ばれた男は現在、不動産投資家として第2の人生を歩んでいる。先見の明を発揮し? 勝利に大きく貢献した筒香、宮崎、井納の活躍を予言し、ズバリ的中させた。

  ◇    ◇    ◇

「人~生、楽ありゃ、苦もあるさ~」。横浜スタジアムに、水戸黄門の主題歌…懐かしのメロディーには似つかない? 陽気な外国人が、ノリノリで打席に入った。

ハマスタのDeNA党はみんな覚えている。暴れん坊将軍は中村ノリ。水戸黄門とくればモーガンのお出ましだ。「誰かが勝手に選んだ。歌詞の意味は今知ったよ。僕のことだね」。不敵に笑ってOB長田氏との1打席勝負に挑んだ。右翼に二塁打を放ち、なじみの「T」マークをファンに向けガッツポーズ。開幕から低迷し、3連敗中だったチームへ元気を届けるべく、現役時以上の大はしゃぎで盛り上げ試合に入った。

「T」は「トニー・プラッシュ」という自身の中に存在する別人格のイニシャル。決めせりふは「アバヨ」。熱すぎるスタイルからMLB最強のクレージーと呼ばれたレジェンド。13年の1シーズン限りで退団したが、選手、ファンに強烈すぎる存在感を植え付け、復帰を望む声が絶えなかった。

セカンドキャリアも独特だ。アメリカで、不動産投資の資格を有する妻のマーシーと不動産業を営む。「マイアミには2つ土地を持っていて、1つには今度、新しくマンションが建つ。もう1つはシェアハウスが建っているよ」と胸を張り「これは本当に」と前置きしてから「横浜の物件も狙っているんだよ」と大きな目をクリクリと見開いた。不動産王をもくろみ、土地を物色に来た…訳ではない。「筒香、宮崎、井納。若かった選手が、今やスーパースターになった」と遠い目で活躍を予告していた。

「彼はいつも盛り上げてくれる最高のチームメートだった。会えることができてうれしい」。不動の4番に成長した筒香は3回、中押しの13号ソロ。宮崎は終盤に追加点の適時打で、先発井納も勝利投手&同点打…言葉は現実となり、連敗を脱出した。

モーガンには夢がある。「不動産を経営しながら、DeNAでコーチをやりたいね。でもヘッドコーチは責任が重いからダメ。いつでもTマークをやりたいんだ。外野守備か、一塁コーチがいいね。僕はふざけていないとダメだからさ。DeNAは若いチーム。明るく、元気に頑張ってほしい」。9日には、あの柳沢慎吾との1打席勝負が予定されている。ネアカのベイスターズが、これで波に乗らなければウソだ。【栗田尚樹】

◆モーガンと長田 13年7月15日ヤクルト戦で、そろってお立ち台に上がった。モーガンは1点を追う8回に逆転2ラン。8回を無失点に抑えた長田に、西武からトレード移籍後初めて白星がついた。モーガンは、奄美市長から贈られた特産の焼酎をその場で飲もうと興奮。長田が懸命に制したが収まらず、最後はDeNAファンにもみくちゃにされながら「Tポーズ」を決めた。

◆ナイジャー・モーガン 1980年7月2日、サンフランシスコ生まれ。10代の頃はアイスホッケーで活躍したが、02年ドラフト33巡目でパイレーツに入団。07年に初昇格し、俊足の外野手として09年に42盗塁を記録。13年1月にDeNAと契約し、108試合で打率2割9分4厘、11本塁打、50打点。翌14年にはインディアンスでメジャーに復帰したが15試合の出場にとどまり、15年に韓国プロ野球ハンファに所属後、メキシコリーグで17年までプレーした。178センチ、81キロ。左投げ左打ち。

◆野手に名手続々…ハマっ子思い出の助っ人

ジョン・シピン(72~77年)常に3割前後を打つ優良株。長髪&ヒゲの「ライオン丸」

クリート・ボイヤー(72~75年)ヤンキース正三塁手の紳士。コーチとしても貢献大

フェリックス・ミヤーン(78~80年)バットを水平に寝かせて安打を量産。大洋初の首位打者

カルロス・ポンセ(86~90年)「マリオ」の愛称で親しまれた。応援歌は名曲

グレン・ブラッグス(93~96年)片手でボール8個持てる怪力。超高速スイング

ジム・パチョレック(88~91年)在籍4年オール3割の安打製造機

ロバート・ローズ(93~00年)ベイスターズ史上最強の助っ人。巨人戦にめっぽう強い

タイロン・ウッズ(03、04年)40発、45発で中日へ移籍

マーク・クルーン(05~07年)160キロオーバーでクローザーに