17日に運命のドラフト会議が行われる。悲喜こもごも…数々のドラマを生んできた同会議だが、過去の名場面を「ドラフト回顧録」と題し、当時のドラフト翌日付の紙面から振り返る。

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<11年10月28日付、日刊スポーツ紙面掲載>

「プロ野球ドラフト会議 supported by TOSHIBA」が27日、都内ホテルで行われた。最速157キロ右腕の東海大・菅野智之投手(4年=東海大相模)は巨人と日本ハムから1位指名を受け、抽選の結果、日本ハムが交渉権を獲得した。伯父の原辰徳監督(53)率いる巨人の単独指名とみられていただけに、菅野も困惑を隠せず笑顔はなし。予定されていた記念写真撮影も急きょ中止となった。交渉権獲得後、日本ハムは菅野側との接触を試みたが、この日は連絡が取れず。菅野側は強行指名に態度を硬化させているとみられ、入団拒否の可能性も出てきた。

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菅野の目は、少し赤かった。12球団の1位指名終了後、神奈川・平塚市内の東海大内の会見場に姿を見せた。巨人の単独指名で笑顔があふれる時間となるはず、だった。だが、日本ハムにも1位指名を受け、抽選の末に日本ハムが交渉権を獲得した。

別室で「今まで味わったことのないような緊張感をすごく感じましたし、何とも言えない気持ち」でテレビを見つめていた菅野は、「今年1月1日からずっとこの10月27日を夢見て頑張ってきた。特別な思いももちろんありましたけど」と話すと、少し言葉に詰まった。「まあ…」と言いかけ、約10秒の沈黙。「ちょっと難しいですけど、無事に終われたというのはすごくホッとしてます」。困惑の色を隠しながら、真摯(しんし)にこう振り返るのが精いっぱいだった。予定していた写真撮影は中止になった。

ずっと巨人が好きだった。伯父である原監督の引退試合を見た6歳で、プロ野球選手を志した。「小さいころからジャイアンツの試合はたくさん見てましたし、自分の中ですごく特別な球団だっていうのはもちろんありました」。だが、周囲に迷惑を掛けないよう、思いは内に秘めてきた。「小さいころは『一緒にできたらいいなあ』ってぐらいにしか思ってなかったですけど、大学に入って自分もある程度の実績を残せるようになって、それが夢じゃなくて現実となれるよう、自分の中で思い描いていたのはあるんです。そういうふうに思っていたっていうのは間違いないです」。夢がかなう瞬間は、そこまで来ていたが…。ずっと抑えてきた気持ちが、初めて言葉となってあふれ出た。

日本ハムの印象について「ダルビッシュ投手をはじめ、すごくいいピッチャーがいる。すごくまとまりのあるチーム」と話しつつも、事前に1位指名の連絡はなく、困惑の表情は否めない。交渉のテーブルに着くかどうかは「さっきの出来事なので、まだ監督だったり、両親と相談して決めたいなと思っているので、まだそういうことは考えてないです」とした。

関東地区大学選手権(31~11月3日)が控えるだけに「それが終わって、少し神宮大会(11月23日開幕)まで時間があるので、できればですけど、決めていけたらなと思います」と、早ければ11月中旬にも結論を出せればという考えはのぞかせた。今ドラフト最大のドラマの主人公となった大学ビッグ3の一角、最速157キロ右腕は、どんな結末を導き出すのだろうか。【浜本卓也】

 会見に同席した横井監督と宮崎部長は、結論を菅野本人に一任する考えを示した。宮崎部長は「入団するかどうかは、言うまでもなく最終的には菅野本人の判断、決断になりますので、その決断を尊重したいと思っております」と菅野の意志を最優先させる意向。横井監督も「今後、本人が決断するということになると思います」と語った。

★ここから大変

昨年の佑ちゃん同様、抽選で今ドラフト最高の逸材を射止めた日本ハムだが、険しい道のりが待っていそうだ。交渉権の獲得直後から大学関係者とは連絡がつかず、即日行うつもりだった指名あいさつも断念した。山田GMは「簡単にはいかない。ここからが大変だと思う」と、入団交渉が難航することを覚悟した。

即戦力投手が、欲しかった。今オフにはダルビッシュがポスティング移籍で退団する可能性があり、補強は先発投手が最優先。春の時点から菅野を1位指名候補として一本化していた。同GMは「潜在能力は素晴らしい。ボールも異常に速いし、変化球も多彩。一番いい投手にいこうと思っていた」。原監督とは血縁関係にあり、巨人は早い段階で1位指名を公言していたが、純粋に実力を高く評価。競合&交渉の難航は覚悟の上で、指名に踏み切った。

事前に指名の意図を連絡せず、菅野サイドを混乱させたことは確かだが、それは球団の戦略上やむを得ないことだった。<1>入札の前から拒まれること<2>他球団への情報漏えい、を嫌ったため、秘密裏に準備を進めてきた。大渕スカウトディレクターは「取れる選手を取るのではなく、取りたい選手にいきたい。それがウチのやり方」と説明した。

今日28日には、担当スカウトらがあいさつのために、東海大を訪れる予定。06年には巨人志望だった長野(当時日大)に入団を拒否されているが、山田GMは「誠意を示していくしかない。時間はかかるかもしれない」と、根気強く熱意を伝えていく方針だ。

◆ドラフト1位指名選手の入団拒否 過去25人おり、最近では00年に内海哲也投手(敦賀気比。現巨人)がオリックス1位を拒否したのが最後。日本ハムの拒否は76年黒田真二投手(崇徳)80年高山郁夫投手(秋田商)の2人で、81年以降の最上位は全員入団させている。江川卓投手は作新学院時代に73年阪急、法大時代に77年クラウンと1位指名を2度拒否した。

◆主な強行指名 68年に巨人入りを熱望した田淵幸一捕手(法大)を阪神が指名。77年には指名順1番目のクラウンが2番目の巨人より前に江川卓投手(法大)を指名して入団拒否となった。90年には亜大・矢野総監督が「最も避けたい球団」と話していたロッテが、小池秀郎投手を指名して入団拒否。03年には日本ハムが巨人希望の須永英輝投手(浦和学院)を指名した。最近では巨人と相思相愛の長野久義外野手(日大-ホンダ)を日本ハムが06年、ロッテが08年に指名して入団拒否。大学進学を強く打ち出していた選手を強行指名した例では85年桑田真澄投手(PL学園→巨人)94年城島健司捕手(別府大付→ダイエー)がいる。

 

※記録と表記などは当時のもの