日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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熊本県南部に位置する人吉市を流れる球磨川(くまがわ)のほとりに、“伝説の人”の生家はあった。巨人V9監督・川上哲治(享年93)はこの地で生まれ育った。

父伊兵次が賭け事に手を染めると裕福な家柄は貧乏になり、住居を転々とした。川上少年は母ツマを楽にさせたい一心で野球に打ち込み、超一流にのし上がっていく。

13年10月28日に逝去。存命なら20年に100歳を迎えることから、23日から地元で『生誕100年記念イベント』が開催される。“川上イヤー”と銘打ち、1年にわたって盛大な催しが続く。

企画展では川上の生涯を記した年表に、当時の巨人番記者が取材メモを掘り起こした「川上語録」が添えられる。表彰状、トロフィー、写真など、約300点の記念品は圧巻だ。

また、長嶋、王、黒江、末次、堀内ら大勢の教え子が、生誕100年のためにつづったエピソードをディスプレー。趣味のゴルフでエージシュートを達成した感想なども披露される。

地元人吉市は選手、監督時代の3種類の「ゆるキャラ」も製作。イラストは大ヒットした「巨人の星」で知られる漫画家・川崎のぼるが担当した。

お辞儀をしてグラウンド入りするのも川上が最初で、現役時代は「打撃の神様」といわれた。監督としてスモールベースボールのもととなるドジャース戦法を導入し、野球界にドレスコードを採用。「チームプレー」「特訓」の造語も発案した。

9年連続リーグ優勝、9年連続日本一は前人未到の記録。名選手、名監督で知られるが、川上の野球界発展に対する貢献は、全国津々浦々で計211回の少年少女野球教室を開いたことからもうかがい知れる。

川上は野球を「道」と説いた。野球教室をしながらの全国行脚は、元メジャーも含めて、日本球界で育てられた野球人としての生き方を示唆しているようだ。

今回の川上哲治記念事業実行委員会の岡本光雄会長(73)は「野球は人間形成に適していると、自らの経験から自信をもって、子どもたちの指導を進められたのでしょう」と語った。

「川上さんは勝負の鬼でした」といったのは王貞治だった。不滅の監督として日本球界を支えてきた道しるべを知るためにも、一見の価値がある。(敬称略)

○…人吉市では、川上哲治生誕100年記念事業に続いて「野球の聖地化プロジェクト」が進行している。自治体、観光協会などでプロジェクトチームが発足。全国各地からシニア野球チームを募集し、野球大会を開催(第1回大会は20年4月11日)する。人吉は温泉、焼酎など観光巡りも有名で、聖地化のまとめ役「Hit-Biz」の松山真一センター長は「シニアがもっとも輝くモデル都市を目指したい」と話した。