プロ野球ロッテで4打席連続本塁打を放つなど活躍した醍醐猛夫(だいご・たけお)さんが11日午前0時42分、急性骨髄性白血病のために東京都内の病院で死去した。81歳。東京都出身。通夜は16日午後6時から、葬儀・告別式は17日午前11時半から、ともに東京都文京区大塚5の40の1、護国寺で。喪主は長男象器(しょうき)氏。

醍醐さんは早実3年の56年夏、当時1年生の王貞治さんとバッテリーを組み甲子園に出場。57年、毎日(現ロッテ)に捕手として入団。1年目に113試合に出場した。高卒1年目に100試合以上マスクをかぶったのは、50年山下健(阪急)と史上2人しかいない。同年10月3日西鉄戦では、稲尾の連勝を20で止める決勝打。71年7月には2試合にまたがり、王らと並ぶプロ野球記録の4打席連続本塁打。実働18年間で1775試合に出場し、打率2割3分4厘、81本塁打、472打点。強打の捕手として4番に4試合座ったこともある。74年には兼任コーチとして金田正一監督を支え、投手起用を任され日本一に貢献した。75年引退後はロッテで2軍監督、スカウト部長、1軍ヘッドコーチなどを歴任した。