監督、ありがとうございました―。南海、ヤクルト、阪神、楽天、社会人野球シダックスで監督を務めた野村克也氏が虚血性心不全のため84歳で死去して一夜明けた12日、愛弟子たちが東京・世田谷区の自宅を次々と訪れた。急逝だったが穏やかな顔で眠る恩師に最後のお別れをし、受けた薫陶を今後に生かすと誓った。本葬儀は、3月16日に青山葬儀所(東京都港区南青山2の33の20)で執り行われる。喪主は息子の克則氏。関係者は正午から午後2時まで、一般ファンは午後2時から参列できる。

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【プロ野球界】

▽荒井幸雄氏(55) ヤクルト時代に野村氏から指導を受けた。92年、巨人戦でネクストバッターズサークルで野村氏に頭をたたかれたことを回想し「それくらいノムさんは熱かったです。後にも先にも手をあげないでしょう」。無言の対面で初めて手を触った。「本当感謝ですよ。辞めてもコーチできたから、今でも伝えられるし、それはもう感謝です」と名将とお別れをした。

▽ヤクルト池山隆寛2軍監督(54) 選手として9年、コーチとして4年、野村氏と過ごした。「野村さんの野球人生で、まともに一緒にやれたのは幸せだった。ありがとうございました。しっかり頑張りますんで上から見守ってくださいと伝えました」と涙を流しながら話した。18年まで楽天のコーチや2軍監督を歴任してきたが、今季から古巣に復帰。「せっかくヤクルトに戻って来られたので、この姿を見せられないのは非常に残念だけど、引っ張っていけるように野球を頑張っていきたいと思います」と赤くなった目をこすった。

▽飯田哲也氏(51) ヤクルトと楽天で野村氏の下でプレー。捕手で入団したが、内野や外野にコンバートされ、レギュラーに定着した。「(野村氏は)怒られそうな顔をしていました。キャッチャーだった僕をいろんなポジションで使っていただいて、それに応えた結果、ここまでできました。感謝の気持ちと、安らかにお休みくださいとお話ししました」。

▽宮本慎也氏(49=日刊スポーツ評論家) プロ野球の沖縄キャンプの取材期間だったが、午前中の便で帰京し、野村氏の自宅へ直行した。顔を見た瞬間に涙があふれ出し、喪主の克則氏から「宮本さんのことを『あいつは俺に似て処世術が下手だから』と最後まで心配していましたよ」と言われ、また涙。「去年、ボクがコーチを辞めて、本当に心配してくれていたんですね。ずっと見ていたかったけど、家族の人に悪いと思って30分ぐらいで帰りました」としんみりし、再び沖縄行きの飛行機に乗った。

▽侍ジャパン稲葉篤紀監督(47) 法大時代、野村氏が見ていた東京6大学の試合で活躍して見初められ、ヤクルトへ入団。日の丸を率いる野球人に育ててもらった。「感謝の気持ちしかありません。ありがとうございましたということと、オリンピックがありますので見守っていてくださいと伝えました」。うつむきながら、足早に自宅を後にした。

【アマ野球界】

▽星槎国際湘南・土屋恵三郎監督(66) 桐蔭学園監督時代から親交があり、野村氏の孫・忠克外野手(3年)を星槎国際湘南野球部で指導していた。「昔からご縁があったし、奥さんにもお世話になった。お礼と、ゆっくり休んでくださいと言葉をかけました。奥さんと2人で天国でゆっくりしてほしいです」と話した。

▽立正大・坂田精二郎監督(45) 現役時代、シダックスで捕手としてプレー。野村氏の教えを直接学んだ。「いつ起き上がってもおかしくないような姿でした。プロ野球だけでなく、アマチュア球界にも一石を投じてくださった。出会いに感謝して、教えを広げていきたいです」と静かに話した。