日本ハム城石憲之2軍内野守備コーチ(46)が12日、2軍の沖縄・国頭キャンプの練習中に倒れて名護市内の病院へ救急搬送された。1軍キャンプ地の名護から視察に訪れていた栗山監督と並んで野手の打撃練習を見守っていた午後1時15分ごろに突然、前のめりで突っ伏した。名護市内の病院で精密検査を受け、頭部に異常はなく、下顎部の打撲と診断され、大事に至らなかった。そのまま入院し、今後は安静に努めて、慎重に復帰時期を見極める。

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城石2軍内野守備コーチが午後1時15分ごろ、前のめりで倒れた。右横で並んで話していた栗山監督は、すぐに「お前、大丈夫か?」と大きな声を上げた。グラウンド内で行われていた練習は中断。2軍首脳陣や選手、スタッフらが次々と駆け寄った。頭部を地面に強打したため、しばらくはうつぶせの体勢を維持。トレーナーの問いかけには反応していたようで意識もあったもようだ。

救急車が手配され、約10分後にはグラウンド内に到着した。複数人で慎重に体勢をあおむけにしてストレッチャーに乗せられて救急車内へ運び込まれた。栗山監督や選手らが心配そうに見守る中で同35分ごろに名護市内の病院へ急行した。倒れた際には鼻から出血もあったようだが、球団によると、精密検査を受けた結果は頭部に異常はなく、下顎部の打撲と診断され、そのまま入院した。

アクシデントが起きたのは、野手陣がフリー打撃などを行う「行程」の時だった。同コーチは内野ノックを打ち終わると、打撃ケージ左横の三塁側ファウルゾーンで1軍から視察に訪れていた栗山監督と並んで話しながら打撃練習中の選手を見ていた。倒れる数分前には、防球ネットのパイプに当たって跳ね返った打球を左膝に受けており、今回の転倒の一因になった可能性もある。

現場に居合わせた栗山監督も同コーチが救急搬送されるまで近くに寄り添い、無事を願っていた。名護へ戻った後に取材応対した際には「心配でたまらないし、本当に怖くてしょうがない。いくつか検査をしているところなので分からないんだけども、変なことにはならないだろう、と」と話していた。

城石コーチは、14年までヤクルトでコーチを務めた後、15年に日本ハム2軍打撃コーチ、16~19年は1軍打撃コーチを務め、今年から2軍内野守備コーチとして国頭で指導していた。今後は、しばらく入院する見通しで、体を安静にしながら治療に専念する予定。現場復帰の時期も、体調の回復を見ながら慎重に見極めていくことになりそうだ。

◆城石憲之(しろいし・のりゆき)1973年(昭48)4月17日生まれ。埼玉県出身。春日部共栄(埼玉)では3年時に主将として春夏連続甲子園出場。青学大進学も1年時に中退。3年間フリーター生活を送った後、94年ドラフト5位で日本ハム入団。98年開幕直後、野口との交換でヤクルト移籍。好守の内野手として活躍した。05~08年は選手会長。09年に現役引退。通算817試合、打率2割3分4厘、25本塁打、133打点。10~14年はヤクルトコーチ、15年から日本ハムコーチ。今季はファーム内野手守備コーチ。183センチ、73キロ。右投げ右打ち。07年にテレビ東京の大橋未歩アナウンサーと結婚も15年に離婚。