日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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セ・リーグ優勝、日本一、ハワイV旅行…。開幕前から堂々と公言してきた監督矢野燿大と球団フロントの青写真は“絵に描いた餅”に終わりそうだ。

かたや9月15日の阪神戦(東京ドーム)で、優勝マジックが点灯した心境を問われた巨人原辰徳が「志半ば、戦い半ばです」と引き締めたのは憎らしいほどだった。

阪神と巨人のチームマネジメントの正反対を感じた。揚げ句に新型コロナウイルス感染で複数主力選手がチームの規律を守らなかった。チームを管理するフロント、束ねる矢野の責任は重い。

ここで時計の針を1年前に戻したい。19年10月18日。監督初年度をシーズン2位で終えた矢野が阪神電鉄本社でシーズン終了のオーナー報告を行った日のことだ。

オーナーの藤原崇起は「フロントも頑張っていかないと」とフロント強化を示唆した。今回の一連の問題が表すように、管理体制の甘さは、トップの意向が現場に浸透しなかったことを意味する。

その場のオーナー発言を受けた拙者は当欄で「コーチ、スタッフの指導力、それをつぶさに点検するフロントの能力も問われる」としたが、今回の揚塩社長辞任が示すように、フロントはふがいなかった。

阪神が球団初のGM(ゼネラルマネジャー)制を導入したのは12年だった。OBで元監督の中村勝広が務めたが、15年9月23日の急逝後は空位になっている。

当時GM制導入に至ったのは、球団本部が機能しなかったことが理由とされた。中村GMの存在が“重し”になったかはさておき、編成をはじめ、チーム全般を掌握できる人材配置は今後の焦点になってくる。

阪神の組織上、メジャーリーグのように決定の権限が与えられる「GM」は成立しにくい。権限強化・拡大は課題だが、今後のフロント改革に「GM」のポスト復活は一考の余地ありだろう。(敬称略)