佐藤輝よ、目指せ生え抜き「背番号8」大砲!! 阪神のデータを深く深く掘り下げる、スカイAの人気番組「虎ヲタ」出演中の日刊スポーツ高野勲記者は、ドラフト1位の佐藤輝明内野手(21=近大)の背番号に注目しました。昨年までの福留孝介外野手(43=現中日)など、移籍選手が多くつけてきたこの番号。セ他球団では球史に残る名打者たちの背中を飾ってきた「8」番で、阪神を背負って立ってほしいものです。

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大ベテランの福留から、佐藤輝は背番号8を受け継いだ。8年間ナインを引っ張ってきた球界の大先輩は、中日からメジャーを経てチームに加わった。福留をはじめ阪神でこの番号は、実績十分の移籍選手が数多くつけてきた。その数は9人にのぼる。

筆頭格といえるのが「世紀のトレード」で大毎(現ロッテ)からやって来た山内一弘だ。大エースだった小山正明投手との交換は、現在に至るもプロ野球最大の移籍劇と呼ばれる。64年には31本塁打94打点を挙げ、リーグ優勝に貢献。卓越した打撃理論は、球界にひとつの流れも作った。

ほかにも、渋い仕事人たちが名を連ねる。76~80年の島野育夫は後年コーチに転じ、03年には星野仙一監督を補佐して優勝に貢献した。87~91年の田尾安志は岡田彰布や真弓明信らと打線を担い、88年にはサヨナラ本塁打3本と勝負強さを見せた。98年には、オリックス時代にイチローも舌を巻いた外野守備の名手本西厚博。02~06年の片岡篤史は、Vを決めた03年9月15日広島戦で同点ソロを放ちファンを熱狂させた。

阪神とは対照的に、セ・リーグ他球団では背番号8の生え抜き名打者がめじろ押しだ。広島の山本浩二は、球団最多の通算536本塁打(背番号27時代に34本)。12球団で唯一、この番号を永久欠番としている。巨人の原辰徳はONなき後の主砲として、人気も兼ね備えたスターとなった。ヤクルト広沢克己(後に克実)は、90年代の黄金時代で主役を張った。ほかに中日江藤慎一、大洋(現DeNA)桑田武と、実力者が並ぶ。

ところが阪神で「8番」をつけた期間の生え抜き選手の最多本塁打は、48~49年後藤次男の15本である。本格的な活躍を見せる前に、22番へ変更した。後に背番号24で大成し通算1436安打する遠井吾郎も、8番時代はまだ下積みだった。抜群の遊撃守備を誇った久慈照嘉は入団から6年間8番だったが、中日へ移籍(後に復帰)。阪神で選手生活を完遂し、プロ入りから引退までこの背番号をつければ、佐藤輝が初となる。猛虎の「背番号8」といえば、佐藤輝明。そんな選手に育ってほしい。

◆背番号8は監督候補生? 現役時代この背番号をつけた後、監督を務める例が多い。阪神から広島を経て引退した山内は、ロッテと中日で監督となり、多くの好打者を育てた。原は巨人の監督3期目で、優勝9度の名将だ。広島の山本も91年にリーグ制覇。中日の江藤は75年に太平洋(現西武)へ移り、選手兼任監督となった。近鉄の名捕手だった梨田昌孝は01年に古巣を、09年には日本ハムを優勝に導いている。ほかに巨人の高田繁が日本ハムとヤクルトを指揮。ロッテ有藤通世も引退後ロッテの監督となっている。

◆佐藤輝明(さとう・てるあき)1999年(平11)3月13日生まれ、兵庫県西宮市出身。仁川学院では高校通算20本塁打。近大では1年春から出場し、二岡智宏の関西学生リーグ記録を更新する通算14本塁打を放った。2年秋と4年秋にリーグMVP。ベストナイン3度。2年時には大学日本代表に選ばれた。20年ドラフトでは4球団1位競合の末、阪神入団。父博信さん(関学大准教授)は柔道選手として日体大時代に古賀稔彦らと活躍。大産大助手だった91年に講道館杯86キロ級で優勝した。187センチ、94キロ。右投げ左打ち。