日本ハムが「理論的交渉術」でドラフト1位指名した花巻東・大谷翔平投手(18)を口説き落とす。日本ハム山田GMらが10日、岩手・花巻市内のホテルで大谷の両親と入団交渉を行った。約1時間半の話し合いでは、メジャー挑戦の厳しい現状などをまとめた30ページの資料を用意し、知性と熱意あふれるプレゼンテーションで入団への理解を求めた。

日本ハムが入団交渉では異例の理論的プレゼンで、大谷の両親へ全力アピールした。本人は不在だったが、熱意は変わらない。金銭面などの条件提示は時期尚早との判断から見送ったが、大谷が目指す高校生から直接メジャー挑戦するリスクなどを力説した。独自にまとめた30ページの資料をプロジェクターで壁に映し出し、日本ハム入りのメリットを切々と訴えた。

約1時間30分の話し合いで、理路整然とメジャー希望から翻意すべき根拠を示した。球団側と3度目の対面となった大谷の父徹さん(50)が「少しビックリしたことがある」と驚いたのが、日本ハムが準備したA4用紙の分厚いプリントだった。

「大谷翔平君 夢への道しるべ~日本スポーツにおける若年期海外進出の考察~」。

サッカーなど異競技も含め、大谷と同じ10代のアスリートの成功、失敗例を分析した。日本ハム山田GMは「若いうちから挑戦することは大変。それを説明した」という。

勝負手は、韓国球界をモデルにした箇所だった。日本球界では過去に例がないが、韓国では高校生のドラフト1位クラスの逸材が近年、メジャーへ流出。技術が未成熟での挑戦は危険など、具体的理由も示した。夢のメジャー挑戦には日本球界経由が得策と促す事例を挙げ、心変わりを期待した。徹さんは現状でメジャー志向に変化はないと断言。それでも「大変いい話を聞かせていただいた。細かく本人に伝えたい」と話した。

徹さんによると、2日に指名あいさつを受けた後は、家族で具体的な話はしていないという。最終的な判断は本人に任せる意向で、「大事な分岐点。悔いのないように」と、家族で協議することを約束した。次回交渉は未定。依然、難航する160キロ右腕獲得へ全力投球する。【高山通史】

 

<大谷と日本ハムの交渉経緯>

◆1位指名 10月25日ドラフト会議で強行指名。大リーグ志望の大谷の心情を思い、栗山監督が「申し訳ない」と謝意を繰り返す。

◆空振り 同26日、指名あいさつのため、山田GMらが花巻東を訪れたが、佐々木監督が応対。大谷は同席せず。滞在時間は18分。

◆初対面 11月2日、山田GMらが岩手の大谷自宅を訪れ、両親にあいさつ。大谷も急きょ加わり、指名の経緯などを50分間説明。栗山監督のメッセージ入りサインボールをプレゼントした。

<過去の入団難航交渉>

◆98年松坂大輔 3球団からドラフト1位指名を受け、西武が交渉権を獲得。松坂は「意中の球団(横浜)以外は社会人入り」を表明。入団交渉で東尾監督からプレゼントされた200勝記念ボールが“逆転入団"の決め手となった。

◆06年大嶺祐太 ソフトバンクと相思相愛だったが、ロッテが強行指名し抽選の末に交渉権を獲得。浪人も覚悟していたが、指名あいさつで地元・石垣島でのキャンプ開催プランを提示され入団へと心変わり。