伝統の一戦、巨人阪神戦が15日、東京ドームで行われ、通算2000試合となった。V9巨人の正捕手としてマスクをかぶり続け、阪神との名勝負を演じた森祇晶氏(84=日刊スポーツ評論家)が、思い出の一戦を振り返った。1973年(昭48)10月22日、甲子園球場で迎えた最終決戦、勝った方が優勝という大一番の舞台裏で何があったのか。秘話を披露しました。

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今振り返れば、不思議なほど気負いなく平常心で臨んだ最終決戦でした。

巨人が9連覇を決めた阪神戦(1973年10月22日)。勝った方が優勝という大一番でしたが、宿舎から甲子園球場に向かう時、「何が何でも勝つんだ」というほどの感情の高まりはあまりなく、普段と変わらずゲームに臨めました。

本来、阪神は他球団と違い特別な相手。20年間の現役時代400試合近く戦いましたが、お互い、チーム状態に関係なく、常に相手を見れば闘志を前面に出していく感じでした。

とにかくメンバーがすごかった。小山、バッキー、村山、江夏ら強力投手陣に、三宅、吉田の鉄壁三遊間。言わば「魅せる選手」が多く、伝統の一戦にふさわしかった。

しかしV9を決めた試合はいつもの阪神戦の雰囲気ではなかった記憶があります。

2日前の10月20日。優勝に王手をかけていた阪神は、名古屋で中日と戦っていました。

我々巨人ナインは、新幹線で大阪への移動日。ちょうど試合中に球場の後ろを通過しました。阪神は勝って優勝を決めると思ってましたが、スコアボードを見たら負けていました。

さらに驚いたのは、この試合で阪神の先発は、ローテーションを変更して、中日に相性の良い上田ではなく、江夏を起用していた。これは私の推測ですが、阪神はエースの江夏に優勝の花を持たせたかったのかも、と思いました。

先発が入れ替わり、我々との最終戦は上田が先発でした。正直、楽な気持ちになった理由はこれでした。気負うことなく、甲子園に乗り込み、特に苦手意識のなかった上田を1回から打ちまくりました。私もあの試合は3安打しました。

こちらは(高橋)一三が完封。優勝の懸かった試合が、9-0のワンサイドゲームとなり、怒ったお客さんが試合後、グラウンドになだれ込んできました。

いつもなら試合後はマウンドに駆け寄って投手やナインと握手するのですが、慌ててベンチに戻りました。

もしあの試合、先発が江夏だったらどうだったか…。巨人の歴史がどうなっていたか、分かりませんね。

忘れられない一戦です。(元巨人捕手・森祇晶=敬称略)