東京五輪で「野球ソフトボール」が13年ぶりに復活する。母国開催で悲願の金メダルへの期待は高まるばかりだが、簡単でないのは過去の国際大会が物語っている。

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08年北京五輪で代表監督に就いた星野仙一は「金しかいらない」と言い切ったが、メダルにも届かない悲惨な結末だった。「星野の時代は終わった」とまで酷評され、翌09年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で指揮をとる水面下の動きも逆風が吹いた。そのWBCで世界一を遂げたのが、現役監督から選任された原辰徳だ。

星野と原。日の丸を背負いながら〝戦場〟で旗を振った2人の名将は、「天国」と「地獄」のコントラストを描いた。悲劇と歓喜のドラマを当時の取材メモからたどってみる。

今思えば星野ジャパンの船出から暗雲が垂れ込めた。代表メンバーを選ぶ最終段階で、高橋由伸(巨人)、新井貴浩(阪神)ら複数に故障者が出た。星野は「おれが再生する」と不振の上原浩治(巨人)をあえて招集するなど人選に苦慮。メンバー決定後も村田修一(横浜)や川崎宗則ら体調不良者が続出。練習試合が雷雨で流れるなど調整不足は否めなかった。直前の日本代表強化試合(東京ドーム)はセ・リーグ選抜に2―11で大敗した。試合後、星野は場所を変えた席で「本音は不安だよ」とつぶやいた。

不安は的中する。開幕した8月13日、ダルビッシュ有(日本ハム)が先発したキューバ戦に敗戦。韓国、米国にも敗れ、1次リーグは4位。準決勝で再び韓国に敗れて決勝進出を逃し、3位決定戦はマイナー、大学生らで編成された米国に完敗。オールプロの星野ジャパンは敗れ去った。

最強といわれた投手陣が崩壊した。準決勝の韓国戦で藤川球児(阪神)、岩瀬仁紀(中日)のリリーフ陣が打ち込まれて継投に失敗。何より先発は杉内俊哉で、ダルビッシュを立てなかった。ダルビッシュは「前から準決勝の先発といわれていた。力を出し切る自信はあった」ともらした。登板機会はなく、米国戦は敗戦処理。上原が投げたのも2試合。投手コーチの大野豊は「先発と中継ぎの割合を間違えた」と敗因を振り返った。

愛称が「侍ジャパン」に決まったのは、原が指揮を執った09年WBCからだ。落合監督率いる中日の代表候補全員が辞退するなどメンバー選考に頭を悩ませる事態が相次いだ。4番候補だった松井秀喜(ヤンキース)は手術した左膝が完治せずに断念、黒田博樹(ドジャース)も調整上の理由で選べなかった。それでも原がじたばたすることはなかった。「今は大きな海がなぎになっている。これから大きな波、小さな波、いろんな波がくると思う。でも我々が向かう港は1つ。チャンピオンです」。

松坂大輔(レッドソックス)、ダルビッシュ(日本ハム)、岩隈久志(楽天)が3本柱で、杉内俊哉(ソフトバンク)も加わった。藤川、馬原孝浩(ソフトバンク)、山口鉄也(巨人)以外は先発で、合宿ではリリーフの適性もチェックした。

北京五輪ではGG佐藤の落球など信じられないプレーが起きた。打線も反発力を欠いた。原が率いたWBCでも村田が右太もも肉離れで帰国、日本から栗原健太(広島)が急きょ合流するピンチもあった。間近でみる選手のパフォーマンスはシーズン中とはかけ離れていた。国際大会は環境、ルールも異なって、日の丸を背負う重みがプレッシャーになっているように感じられた。

原は〝非情〟に徹し、選手をフレキシブルに使いこなしながら最大限の力を引き出した。例えば「4番」は稲葉、村田を起用し、決勝戦では城島健司(マリナーズ)を抜てき。「3番」で不振が続いたイチローは、「1番」に打順を変えてから上昇。選手起用に〝情〟を絡めることはなかった。継投の妙を熟知した投手コーチの山田久志と原がタッグを組み、先発の杉内はリリーフでフル回転した。強敵キューバ戦は松坂の後に岩隈を中継ぎで投入、中2日で再び岩隈を先発させる離れ業も光った。〝ウルトラC〟はダルビッシュのストッパー起用だ。不調だった抑えの藤川に固執せず、決勝で先発予定のダルビッシュを準決勝、決勝で抑えに回す勝負手も打った。

星野は北京五輪でポジションにこだわった継投策で後手に回った。それは星野の〝情〟だったかもしれないが、正念場で決断が鈍った。ただ屈辱の北京五輪から5年後、星野は楽天監督で日本一に導いた。どん底を味わった闘将が勝負師として手綱を緩めなかった。

東京五輪の稲葉篤紀は監督としては未知数だが、星野、原という名将のもとで国際大会を戦った実績がある。メンバー選考からの紆余(うよ)曲折は毎度のことで、今後も壁が立ちはだかるだろう。いかに短期決戦でチームを掌握し、決断力をみせるかが鍵を握る。【編集委員・寺尾博和】(敬称略)

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