現役最年長投手の中日山井大介投手(43)が現役引退を発表した。通算62勝を挙げた右腕といえば、07年の日本ハムとの日本シリーズ第5戦だ。球界初のシリーズ完全試合を目前にしながら、8回にまさかの降板。9回は守護神岩瀬仁紀との「完全リレー」で日本一の栄冠をつかんだ。衝撃の交代劇の真実とは? 当時の担当記者が、シリーズ閉幕2日後に聞いた山井の言葉を明かした。

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3万8118人をのみ込んだナゴヤドームが「山井」コールで揺れていた。完全試合まであと3アウト。しかし8回裏の攻撃が終わっても、山井はベンチに座ったままだった。落合監督がゆっくりと球審に向かって歩いていく。

「ピッチャー山井に代わりまして岩瀬」

場内アナウンスに、悲鳴と怒号が沸き上がった。

スコアは1―0。逆転負けをしても3勝2敗と星1つのリードがあった。しかし第6戦からは札幌ドームでの開催。敵地にもつれ込めば、日本シリーズの行方はどうなるかわからない。それが大方の見方だった。

落合中日は日本シリーズで2度負けていた。04年は西武に3勝4敗。06年は日本ハムに1勝4敗。しかも札幌ドームで3連敗を喫した。「中日は短期決戦に弱い」が定説だった。半世紀以上も日本シリーズで勝てていない歴史もある。落合監督は「勝つことが最大のファンサービス」という信念があった。勝利だけを追求する衝撃の交代だった。

恥ずかしい話だが、記者はファンの悲鳴と怒号を聞きながら、ただほっとした。山井の完全試合が消えて、落合監督を担当する同僚記者を思った。これで新聞の1面は山井ではなく、落合監督の采配になる。史上初の個人記録よりも、チームの勝利を優先させる。これは「事件」だった。

守護神岩瀬がどのように3アウトをとったか、あまり覚えていない。山井―岩瀬の完全リレーが成立して、中日が日本一に輝いた。

もろ手を挙げて喜べない日本一だった。なぜ交代したのか。疑問はその1点に尽きる。午後6時10分開始のナイターで、締め切りも際どい。テレビ中継での優勝監督インタビューが第一声になる。しかしここでちょっとしたアクシデントが起きる。インタビュアーが、落合監督に山井交代の理由を聞き忘れたのだ。試合直後で采配の意味を消化しきれなかったのだろう。53年ぶりの日本一で指揮官を泣かせようとしたのはわかるが、報道陣から「え、終わり?」というため息がもれた。選手はそのままビールかけに入ってしまう。

とにかく山井の話を聞かなければいけない。歓喜のどさくさにまぎれて、ベンチ裏の通路に入り込んだ。本来は試合後に入る場所ではないが、指揮官がまだ交代の理由を語ってない以上、山井の言葉なしではどうにもならない。

グラブとバットを抱えて出てきた山井は、いつものように丁寧な口調で言った。

「個人の記録はこの試合に関しては全然関係ないです。最後は岩瀬さんに投げてほしかった。僕の方から『代わります』と言いました」

8回表終了時に、森バッテリーチーフコーチから「体力、握力はどうだ?」と聞かれた。その瞬間、29歳は首脳陣の考え=岩瀬投入を望んでいることを察知した。淡々と答える顔に悔しさはにじんでいなかった。

しかしこの後、違和感が生じた。ビールかけが終わり、深夜11時過ぎ。山井はナゴヤドームの駐車場に出てきた。その時、けげんな表情でこう口にした。「監督が血豆の話をしたんですか?」。

落合監督は、日本一後の恒例であるテレビ局回りで山井交代の理由を説明していた。4回に右手の豆がつぶれたこと、中24日の登板間隔でけがのリスクがあったこと、8回に山井が交代を申し出たこと。「幸か不幸か、山井がもういっぱいだというので代える分には抵抗はありませんでした」。

山井が「代わります」と言ったのは事実だが、落合中日でけが情報は秘中の秘だったはずだ。

右足を引きずって階段を上がる外野手に「大丈夫ですか?」と聞いて「何がですか? 何もないですよ」と真顔で答えられたこともある。

血豆の話をしたのは、この日でシーズンが終わったからという解釈もできるが、指揮官がけが情報を明かすことはこれまで皆無だった。山井は、試合直後のベンチ裏でも血豆の話はしなかった。「まあ血豆はありましたが…」と釈然としない表情で去っていった。

試合直後から、落合采配に賛否両論が巻き起こった。新聞はもちろんテレビのワイドショーでも取り上げられた。落合監督が非情采配を振るったこと、山井の歴史的快挙がなくなったこと、交代の理由として血豆ができていたこと。楽天の野村克也監督が「監督が10人いたら10人とも代えないだろう」とコメントした。東京都の石原慎太郎知事は、定例会見で「あれが本当のリーダーだ」と絶賛した。個人の利益か、集団の利益か。もう完全に野球の枠を超えていた。世間一般は落合監督に批判的で、山井は首脳陣の圧力を受けて自ら交代を申し出た被害者という論調だったと記憶している。

日本一から2日後の11月3日。記者はいつもの習慣で、朝からただなんとなく2軍のナゴヤ球場に1人でぽつんといた。すると、合宿所に届いた荷物を取りに、山井がやってきた。

血豆の状態や5日後に始まるアジアシリーズについて聞いた。「(血豆は)まだジンジンしてますけど、だいぶ固まってきました。投げろと言われれば、投げられると思います」といつものように丁寧に答えた。

そして車のドアを開けて乗り込もうとした山井が「ちょっといいですか?」とくるりと振り返った。

「いま、世の中ってどうなってるんですか? テレビで、知らない人が僕のことを話している」

騒動の中心にいる山井は戸惑っていた。真剣な表情で聞かれた。だから「あくまで個人的な意見ですが」と断った上で感じていたことをストレートに伝えた。

「落合監督は非情な采配を振るった冷たい人。山井君は一生に一度のチャンスを自ら放棄した、いい人。血豆もつぶれていた。そういう捉え方だと思う」

山井は、こちらが話し終える前に、言葉をかぶせるように強い口調で言った。

「血豆なんて関係ないでしょ。完全試合ですよ。腕が折れても投げますよ。おれ、どんだけ情けないピッチャーなんですか。そんなピッチャーじゃない」。

山井は日本一を伝える新聞で、自分が血豆のために交代を申し出たかのような記事を見て、読むのをやめていた。テレビもほとんど見なかったが、スポーツコーナー以外でも過熱する騒動は自然と耳に入ってきた。

「投げられないというわけではなかった。完全試合の意識はあったけど、最後は岩瀬さんに投げてほしかったんです」。

試合直後のベンチ裏と同じ言葉だった。最初は、あまりにもきれいすぎると感じた。だが秋晴れのナゴヤ球場で、もう1度聞くと、すんなりと、ふに落ちた。

21年10月7日、43歳の山井は引退会見でこう言った。

「優勝することに向かってやってきたことがあの1試合になった。そこには野手の方もいれば、監督、コーチ、スタッフもいる。多くのファンの皆さんが背中を押してくれて、あの一瞬が訪れた。忘れることのできない素晴らしい1日。プレーヤーとして最高の瞬間を味わわせてもらった」。

山井は13年6月28日DeNA戦でノーヒットノーランを達成、14年は最多勝を獲得した。完全試合は訪れなかったが、あの夜の悔恨は感じられない。確かに落合監督の意思が山井交代のきっかけだっただろう。だが山井が交代を申し出たのは、首脳陣の圧力に負けたわけでも、血豆が原因でもなかった。8回完全で途中交代―。それは山井自身も、岩瀬との「完全リレー」を望んだ結果だった。【益田一弘】