さらば平成の怪物、ありがとう松坂。西武松坂大輔投手(41)が引退試合に臨み、最後は四球を与えて終わった。日本ハム戦に慣れ親しんだ背番号「18」で先発。横浜高の後輩・近藤に5球投じ、最速は118キロだった。右手のしびれと闘いながら懸命に腕を振り、マウンド上からファンに最後の雄姿を披露。試合前に行われた引退会見では涙も見せた。99年から始まりプロ23年間で日米通算170勝。後半はケガに苦しめられ、栄光と挫折、頂点とどん底を味わった平成の怪物は、その伝説に幕を下ろした。

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別れを告げるため、松坂がマウンドに帰ってきた。18番のユニホームでマウンドに立ち、変わらぬワインドアップから投げ込んだ。初球、高めに外れ、2球目は外角低めのストライクが決まった。いずれも球速118キロの直球。2球続けて高めに抜け、カウント3-1から最後は近藤のふところへの116キロで四球。「正直、プロのマウンドに立っていい状態ではなかった」。これが今投げられる全力の5球だった。

ずっと投げることが好きだった。しかし、投げたくなかった。「もうこれ以上、だめな姿は見せちゃいけない」。髪の毛やあごひげは白いものが交じる。引退を決定づけた右手や首のしびれはまだ残っている。でも「どうしようもない姿かもしれないけど、最後の最後全部さらけ出して見てもらおう」。かつての剛速球はない。投げて引退報告するためにマウンドに戻ってきた。

試合前の引退会見。こらえてもこらえても、家族を思うと涙があふれてきた。7月、家族に引退報告するとみんな泣いていた。「僕には分からない感情を、妻や子どもは持ったのかもしれない。あらためて感謝と同時に申し訳なかったという気持ちがありました」。バッシングの矛先が、野球とは無縁の家族に向けられたことは数え切れない。一緒に受け止め、張り裂けそうな感情をグッとこらえたことを思い出すと、止めどなく流れる涙。マウンドでは1人でも、家族とともに戦ってきた証しだった。

球団から来季入閣を打診されたが断った。「家族と過ごす時間を増やしながら、違ったところで。野球界、スポーツ界に恩返しできる形をつくっていけたらいいなと思う」。試合後は涙を流しながらマウンドのプレートに右手を置き、別れの儀式。プロ野球界をけん引し、日本中を沸かせた「平成の怪物」。最後は仲間の手で胴上げを促されると、5度宙を舞い送り出された。【栗田成芳】

◆松坂大輔(まつざか・だいすけ)1980年(昭55)9月13日生まれ、東京都出身。横浜で98年甲子園春夏連覇。同年ドラフト1位で西武入団。1年目の99年に16勝で新人王に輝き、同年から3年連続最多勝。07年にレッドソックス移籍。インディアンス、メッツを経て15年ソフトバンク入団。18年中日に移籍し、20年に西武復帰。主な表彰は最優秀防御率2度、最多奪三振4度、01年沢村賞、18年カムバック賞。00年シドニー五輪、04年アテネ五輪、06、09年WBC日本代表。182センチ、92キロ。右投げ右打ち。