ヤクルトが、6年ぶり8回目のリーグ優勝を達成した。午後9時4分にDeNAに勝利し、マジックを1へ。午後6時1分開始だった阪神-中日戦(甲子園)の試合経過を待ち、2位阪神が敗れ、歓喜の瞬間が訪れた。

ベンチ前での勝利のハイタッチ後、首脳陣、選手は1度はベンチ裏に引き揚げたが、約10分後には再びベンチに現れた。試合終了後、横浜スタジアムの電光掲示板には阪神-中日戦の映像が流れ、スタンドのファンも見守る中、最高の時間を共有した。

この日の燕も強かった。1点先制された直後の2回、村上とサンタナの連打でチャンスを作り、1死二、三塁からオスナの三ゴロの間に同点に追いついた。

燕はたたみかけた。1-1の3回1死満塁では、サンタナがDeNA今永から勝ち越しの2点二塁打。さらに1死二、三塁から、中村が左翼フェンス直撃の二塁打で続き、2点を追加した。

中村は「1打席目抑えられたので、絶対にやり返す気持ちで打席に入りました。気持ちで打ちました」と全員の思いを体現。高津監督も両手を大きくたたき、選手をたたえた。

気持ちを1つにグラウンドに立った。この日も試合前の声だしでは野手陣が肩を組み円陣を作った。前回優勝した15年の9月27日巨人戦で、当時現役の松元打撃コーチが発案。6年の時を経て、24日の巨人戦(神宮)で採用すると、6-4で勝利し連敗を止め、この日も験を担いだ。

守っては、「高津マジック」でDeNA打線を封じた。先発の高梨が4回1失点と好投。5回からは継投策に入って、石山、田口を小刻みに起用し、6回からは高橋を今季初のリリーフで投入した。8回からは清水、マクガフの勝利の方程式で勝利を飾った。

◆東京ヤクルトスワローズ 2リーグ制が始まった1950年(昭25)、国鉄スワローズとしてセ・リーグに加盟。65年に経営権がサンケイ新聞社(現産経新聞社)に移りサンケイスワローズに。サンケイ・アトムズ、ヤクルト・アトムズと変遷し、74年からスワローズの呼称が復活。06年から球団名に「東京」を冠した。広岡監督の78年にリーグ初優勝(日本一)。野村監督の90年代に4度優勝(日本一3度)するなどリーグ優勝は今回で8度目。日本一5度。オーナーは根岸孝成氏。

状態を見極め、万全の状態でグラウンドに送り出す。高津監督の気配りが、悲願の優勝を呼び寄せた。

◆高津臣吾(たかつ・しんご)1968年(昭43)11月25日、広島県生まれ。広島工-亜大を経て90年ドラフト3位でヤクルト入団。最優秀救援投手4度。03年オフにFAでホワイトソックス移籍。メッツ、ヤクルト、韓国ウリ、台湾興農、BC新潟を経て12年引退。日本通算286セーブは歴代2位。14年に1軍投手コーチでヤクルトに復帰し、20年から監督。180センチ、75キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸8000万円。