日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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人とのつながりをつくづく思う。16日、日本ベンチャーキャピタル社を創業した文箭(ぶんや)安雄の「お別れの会」が、帝国ホテル(東京)、リーガロイヤルホテル(大阪)で同日同時刻に開かれ、名だたる企業トップが献花を供えた。

21年9月29日永眠。大阪屋証券(現岩井コスモ証券)社長、会長を歴任後、牛尾治朗らと日本ベンチャーキャピタル社を設立し、ベンチャー企業を支援に尽力。文箭と野球は無縁と思われがちだが、そのつながりは興味深い。

1980年代、親交が深いダイエー創業者の中内功から「球界参入」に関しての相談を持ちかけられる。文箭は東京・日比谷の帝国ホテルで、セ・リーグ会長の鈴木龍二と中内の“橋渡し”を実現させるのだった。

ダイエーは小売業初の売り上げ1兆円突破で急成長。文箭は「中内さんはその場で『ぜひプロ野球チームが欲しい。ひと肌脱いでくれませんか』と申し出た」と極秘会談の様子を語った。多角化を狙うダイエー戦略に一役買ったわけだ。

生前の文箭からは「鈴木さんはフランチャイズ制を敷きたかったのか『四国に作れませんかね』とおっしゃった。ただ中内さんは横浜(現DeNA)が欲しかったようです」と生々しいエピソードをうかがってきた。

「中内さんは松下幸之助さんから『もう覇道はやめて王道を歩んだらどうか』と言われたが、最後までメーカーが価格をつけるのはおかしい。価格は消費者がつけるものという考えだった。京都で大きな仕事を終えて午前2時を回っても車中でイヤホンをつけて英会話の勉強をした。80歳で自動車免許を取得したが、試験官から『合格ですが車は乗らないと約束してください』と言われてね。前へ、前へという経営者だった」

吉田義男が阪神監督で優勝した85年冬、大阪高麗橋の「吉兆本店」で、磯田一郎(住友銀行頭取)、速水優(日商岩井会長)ら経済人が集まって祝賀会が開かれた。文箭はこの席にも中内を招いている。

「阪神の優勝をみた中内さんは『ひょっとしてプロ野球はビジネスになるかもしらんな』と目を輝かせた。本当はタイガースが欲しかったのかもしれない。ロマンチストの経営者は夢を追いすぎるから失敗するとよく言うが、今でもこの人じゃないと流通革命は出来なかったと思っている」

88年南海ホークス(現ソフトバンク)を買収し、中内は念願だったプロ野球チームを手中に収める。ホークスの歴史にかかわってきた偉大な先人たち。文箭から「またそのうち…」といわれた約束はかなわないまま、その人は旅立った。(敬称略)