日米通算2450安打を誇る中日福留孝介外野手(45)が8日、今季限りでの現役引退を発表、バンテリンドームで会見を行った。引退を決意した理由や、日本やメジャー、日本代表ででのプレーなど、24年の現役生活を振り返った。

-引退を決めたのは

福留 「毎年、この年になって、野球をやっている以上、常にその気持ちを持っている。今年は最初から使っていただいて、自分の中でも結果が出なかった。そういう意味では気持ちの中にあったのは早い段階だった。(2軍で)若い選手を見ていて、応援する気持ちが強くなっていたのを自分で感じた。そこが強くなったということは潮時かなという思いはあった」

-ユニホームでの会見

福留 「ネクタイが苦しいからです(笑い)」

-球団に伝えたのは

福留 「つい最近です」

-家族の反応は

福留 「号泣とまではいかなかった。泣きもしなかった。ウチの家族らしく笑顔で『お疲れさま』と言ってくれた。一番迷惑をかけたけど、ほっとした。普通の父親に戻れる部分かなと思う」

-現役24年間を振り返って

福留 「これだけ、好きな野球をやらせていただいて、好きなように生きてきて楽しかった」

-一般の方へ年齢を加えても苦難を突破する助言

福留 「常に僕は新しいことを見つけてチャレンジするとか、常にこういうことをやってみようと。マンネリ化しないように、変化をつけてやっていた。家に帰って、ユニホームを脱いだら基本的に野球のことは考えないようにしていた。家に帰ったら家族が野球と関係ないことをしてくれた、その毎日を繰り返した」

-現役生活は長かったか短かったか

福留 「24年間ですから。長かったでしょうね(笑い)」

-中日入団から始まったプロ生活は

福留 「優勝だったり、いろんなことを経験させていただいた。24年間の長い間もここから始まり。楽しかった思いが強い」

-転機は

福留 「内野手から外野手に転向して、そのときのシーズン(02年)」

-06年にはシーズン前にWBCで準決勝韓国戦で代打決勝本塁打も

福留 「調子が上がらない中で迷惑をかけた。代打で使っていただき、運じゃないけど恵まれていたのかな。アメリカにいたので盛り上がりは分からなかったが、名古屋駅で新幹線を降りたときの人の多さにはビックリした」

-07年にはメジャー移籍

福留 「1回しかない野球人生でチャレンジさせてもらった。本当に中日球団も温かく見送っていただき、やりたいことやるチャンスをいただいた。感謝している」

-米国で5年間

福留 「いいことも悪いこともあった。違った野球を自分で体感できた。それは良かった」

-苦労は

福留 「間違いなく言葉。まったくしゃべれないので」

-古巣中日復帰の2年間は

福留 「まだあきらめきれなくて野球がやりたい中で、手を差し伸べていただいた。中日のユニホームで野球をやらせてもらい野球人生を終わらせていただいて感謝している」

-24年間の中で浮かぶのは

福留 「特にないです。まだゆっくり振り返ってもいない。落ち着いたら思うのではないか」

-誇れる数字は

福留 「プロに入る時に何とか2000本は達成したいとやっていた。2000本を日米で達成できたのは良かった」

-日米通算二塁打は立浪監督を抜いた

福留 「プロに入って最初のヒットが二塁打。二塁打というのは、日米通算ですが監督を超えることができたのは自分の誇り。自分の中ではうれしいこと」

-24年間でやり残したことは

福留 「簡単に思いつかない。脱ぐと決めたのでやり残したことはない」

-年齢と身体がかみ合わなかったのか

福留 「思っているように(いかない)というところはあったかも。逆に自分の年齢を、もっと自分は若いんだとは思わないようにしていた。年齢は認めて、その中で目いっぱいやっていた。たまには、なんでできないんだろうと思うこともあったが、そこまでジレンマは感じなかった」

-引退試合では

福留 「少し故障している。何とか故障を治して、最後は元気な姿を皆さんに見せられたらいいなと思う」

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