社会人野球のENEOSに復帰した元レッドソックスの田沢純一投手(36)が9日、オンラインで会見を行った。背番号は、レ軍で6年ぶり8度目の世界一に貢献した13年と同じ「36」に決まった。
社会人から、日本のドラフト会議を経ずに直接大リーグに渡った当時は「田沢問題」と称されるなど、大きな関心を呼んだ。
当時からの経緯を振り返ります。
◆08年9月 ドラフト1位候補だった田沢が、メジャーリーグ挑戦を表明。12球団にドラフト指名回避をお願いする文書を送付
◆08年10月 日本野球機構(NPB)と12球団による実行委員会で、通称「田沢ルール」を設ける。アマチュア選手が日本のドラフトを拒否して海外でプレーした場合、その選手が日本に帰国しても高校生は3年、大学・社会人は2年は獲得しないと決めた
◆08年12月 田沢は3年総額330万ドル(当時約3億1400万円)でレッドソックスとメジャー契約。プロ野球を経ずに、直接メジャー契約した史上初の日本人選手になった
◆09年8月 タイガース戦で初先発初勝利。13年にはクローザー上原浩治につなぐセットアッパーとしてワールドチャンピオンに輝く。以降5年連続50試合登板。マーリンズ、タイガース、エンゼルスなどを渡り歩く。大リーグ通算388試合に登板し、21勝26敗4セーブ、防御率4・12
◆20年7月 ルートインBCリーグ・埼玉移籍
◆20年9月 実行委員会で「田沢ルール」の撤廃を決定。田沢はドラフト対象選手になる
◆20年10月 ドラフト会議で指名漏れ。会見場には監督ら球団関係者3人が出席し、田沢は別室で待機していた
◆20年12月 台湾プロ野球の味全に移籍
◆22年5月 メキシカンリーグ・ドゥランゴに加入
◆22年9月 社会人野球のENEOS復帰が決定