ロッテOBの村田兆治さん(72)が11日、亡くなった。多くの人が衝撃を受けた。福沢洋一さん(55)もその1人だ。「ニュースを見て、ビックリして。言葉にならなかったです」と言葉を絞り出した。

ひと呼吸置いて、じわじわと記憶が明瞭になっていく。「2年目に開幕戦でバッテリーを組ませてもらった時がフラッシュバックしました」と振り返った。

1990年(平2)4月7日、大阪の夜を福沢さんは忘れもしない。88年ドラフト外で入団し、強肩捕手として2年目の開幕ベンチを勝ち取っていた。オリックスとの開幕戦を翌日に控え、福沢さんは村田さんに食事に誘われた。

「2人っきりで。何だろうなとドキドキして。ドキドキとうれしさが交差する感じでしたね」

ステーキを前にして、当時40歳の村田さんから突然、告げられた。

「明日、頼むから」

金田新監督からも全く聞いていなかった開幕スタメンマスクを、18歳年上の大先輩から直接、面と向かって通知された。ドキドキは最高潮。「ステーキの味も覚えていないくらいで」。その後はゆっくりと野球談議を交わした。

翌日の開幕戦は8番捕手でフル出場。1失点完投に導き、大ベテランの信頼を勝ち取った。バッテリーを組むようになって、さらにとことん鍛えられた。

「直球の威力は見たことないし、フォークは見たことないところでワンバウンドしてましたね。それを『止めろ、止めろ』と。ベース板の何メートル前でバウンドしても『止めろ』と。それくらい厳しく言われましたね」。

村田さんは試合に入り込むタイプだったという。そこに合わせる。「顔色を見ながら。スイッチ入った時はすごい球を投げてくるので」。必死に捕り続け、技術も磨かれていった。

福沢さんは03年に現役引退し、他球団も含めてコーチや2軍監督を経験し、19年からは古巣でスカウトを務めている。村田さんのオリオンズ時代から、ロッテに受け継がれているものはあるのだろうか。

「いいのか悪いのか別として、投手同士で本来だと教え合ったりはないんですけど、けっこうこうだよああだよとアドバイスを送ることが多かったんですよ。でも教えても、そう簡単にできることではない。『オレ、それ以上頑張るから抜けないよ』というような伝統がありました」

協調しながら、高め合う。自身がスカウトとして担当した高部瑛斗外野手(24)や佐藤奨真投手(24)らもそうやって、立派な1軍戦力に成長した。

訃報に接したこの日午後、福沢さんは神宮球場のスタンドにいた。ドラフト1位指名した専大・菊地吏玖投手(22)の投球を熱心に見守った。村田さんの思い、ロッテの伝統を未来へつなぐべく、全国を駆け回る。【金子真仁】

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