日本ハムを自由契約になっていた14年沢村賞右腕の金子千尋投手(39)が23日、札幌市内で記者会見を行い、今季限りでの現役引退と特命コーチ就任を表明した。今後は来年2月中に渡米し、米大リーグ、レンジャーズへコーチ留学する。

本人の希望で、会見は球団公式YouTubeチャンネルで超異例の生配信。「七色の変化球」で一時代を築いた右腕は18年間の現役生活に幕を下ろし、指導者として一流を目指す。

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幕の引き方も“わが道を行く”金子らしかった。日本全国のプロ野球ファン、そして支えてくれた全ての人たちへ-。「リアルタイムの僕の声を、少しでも多くの方に聞いていただきたくて」と引退会見をYouTubeで生配信。18年間の感謝と人生第2幕への意気込みを、丁寧に紡いだ。

金子 入団した時はまさか18年もの長い間、プロ野球で野球をすることが出来るとは本当に思ってもいませんでした。オリックスで14年、ファイターズで4年。順風満帆と言える成績ではなかったかもしれないが、入団した時の自分を考えると、よくやったのではないかと改めて思います。

低迷期のオリックスで長らくエースとしてチームを支え、球界屈指の変化球の使い手として一時代を築いた。日本ハムへ移籍してからもリーグ優勝には縁がなかったが、通算130勝が色あせることはない。

今季1勝2敗でシーズンを終え、来季構想から外れた。球団から特命コーチでの米留学を打診されたが、1度は辞退。NPBでの現役続行を希望したが声がかからず、引退を決断した。

気持ちの整理は、しっかりついた。「遅かれ早かれ引退はするもの。気持ちを切り替えて前を向かなきゃいけないと思った」。本場のトレーニング理論に心を動かされていただけに、レンジャーズへのコーチ留学は、人生第2幕として最高の形だ。2月1日から始まる沖縄・名護での春季キャンプを視察した後、渡米予定。「根拠のない主張はしたくない」。選手個々に寄り添った指導者を目指す。

1軍ラスト登板は今年5月だった。「心残りがあるとすれば、もう一度、投げる姿をファンに見せられなかったこと」。球団は引退セレモニーを計画中。来年開業する新球場「エスコンフィールド北海道」で、最後の勇姿を披露することになりそうだ。【中島宙恵】

◆金子千尋(かねこ・ちひろ)1983年(昭58)11月8日、新潟県三条市生まれ。長野商では2年春に甲子園出場。トヨタ自動車を経て、04年ドラフト自由枠でオリックス入団。最多勝2度、最多奪三振1度、最優秀防御率1度。14年MVP、沢村賞、ベストナイン、ゴールデングラブ賞。19年日本ハムに移籍し、同年に全球団勝利を達成。19~21年の登録名は「金子弌大」。180センチ、77キロ。右投げ左打ち。

◆日本ハムの主なコーチ留学 オリックスで現役引退した白井一幸氏は97年2月から99年10月までヤンキースでコーチ学を勉強。14年に現役を引退した金子誠氏は翌15年2月から約2カ月、パドレスでメジャー球団の指導法などを学んだ。18年に引退した矢野謙次氏は翌19年2月から約半年、レンジャーズに留学した。

○…目指すコーチ像は明確だ。直接指導を受けたことはないが「多少、吉井さん(ロッテ監督)の影響がある」という。「吉井さんがコーチになる時に、まずは自分がやられてイヤなことを(紙に)書きだしたということを聞いて。僕も、そうでありたい。スケールの大きな選手を1人でも多く育てられたら」と話した。

○…印象に残った試合は、たくさんある。「初登板、08年に初めて開幕投手で投げた試合、10年開幕戦で完封勝利した試合、11年の勝てばCS進出が決まる試合で僕が投げて負けてしまった試合…」。対戦相手では、西武中村、ソフトバンクから巨人へ移籍した松田と、同い年の打者との真剣勝負が「すごく打たれているイメージがある」と、記憶に刻まれている。

○…9人の監督の下、プレーし「肉体的にも精神的にも成長できた」。オリックスを自由契約になった後、誘ってくれた日本ハムの栗山前監督へ「栗山監督の言葉がなければ、ファイターズに入ることはなかったかもしれない。(監督と選手との)壁がなかった。それがすごく新鮮だった」と、感謝を口にした。

○…金子の決断を「ひたすら待った」という稲葉GMは「自分で考えて取り組む姿勢、後輩から慕われている人間性、これらから推測していいコーチになるはず」と、新任コーチを歓迎した。現役時代、何度も対戦。「腕の振りよりもストレートが速く感じた。どんな球も自在に操るから、的が絞りづらい投手だった」と、思い出を口にした。

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