兵庫県西宮市出身の阪神ドラフト1位、下村海翔投手(21=青学大)が阪神・淡路大震災から29年が経った17日、プロ野球選手の使命をあらためて心に刻んだ。新人合同自主トレが行われている同市の鳴尾浜球場で球団関係者らとともに黙とう。かつて甚大な被害を受けた兵庫に誕生したスター候補生として、能登半島地震で苦しむ人々を元気づけるプレーを誓った。

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29回目になる「1・17」の朝。鳴尾浜に流れる空気はいつもと変わらず静かで穏やかだった。柔らかな日差しの下、下村は球団関係者や同期とともに静かに目を閉じた。

「西宮市出身ということもあって、阪神・淡路大震災はずっと忘れてはいけないことだと学んできた。もう1度再確認しながら、震災で被害を受けた方々のことを思いながら黙とうしました」と神妙に話した。

震災は生まれる7年以上前のこと。しかし、甲子園や鳴尾浜がある西宮市で中学まで過ごし、震災当時の状況は自然と理解した。学校や集会で被災者の体験談を聞く機会もあった。

小学生の頃、母展子さんに当時のことをたずねると、タンスが倒れ、電灯のひもがちぎれそうなほど激しく回っていたと聞かされた。消防士だった父毅さんは被災地で救助活動に奔走したという。

「自分が生まれてからはすごいきれいな町だなと感じていた。震災について学んでいる時に当時の写真や映像を見ると、今住んでる西宮市が今と全然違って、ひどい姿というか。そう感じていました」。だから、復興を果たした現在も「きれいな町」が当たり前ではないと感じている。

希望に満ちたプロ野球生活のスタート。その矢先、また大地震が起きてしまった。多くの命と、平穏な生活を奪った能登半島地震。被災地・兵庫の出身で、ドラフト1位で地元に帰ってきた下村は、あらためて自らの使命を実感した。

「能登の方で地震があり、苦労もされている方もたくさんいる。プロ野球選手として少しでも元気や明るさを届けられたらいいなと思って頑張っています」

この日から新人合同自主トレは第3クール。キャンプ地沖縄入りまでちょうど2週間となった。焦りも、遅れもなく順調そのもので「状態はかなり上がってきているんじゃないかと思います」。プロの自覚を携えて、来たるべき勝負の舞台に備える。【柏原誠】

◆阪神・淡路大震災 1995年(平7)1月17日午前5時46分、兵庫県淡路島北部を震源にマグニチュード(M)7・3の地震が発生。神戸市などで観測史上初の震度7を記録。死者6434人、重傷者約1万人、被害家屋は約64万棟に上った。

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