長嶋茂雄さんの律義な人柄を最初に感じた。担当記者になり、02年12月、成田空港であいさつした。

常に注目を浴び、大勢の人に囲まれる長嶋さんにあいさつするチャンスはなかなかなかった。慌ただしい中、ハワイへ向かう航空機に乗り込む直前だった。「担当させて頂くことになりました。よろしくお願いします」。頭を下げて名刺を差し出した。場違いであることは、承知の上だった。おそるおそる、顔を上げて相手を見た。

「長嶋です。よろしくお願いします」

向こうも深々と頭を下げている。驚いた。こちらも頭を下げる。向こうもまだ頭を下げている。数秒間の出来事だったと思うが、私にとっては「永遠」とも感じられる瞬間だった。丁寧な応対は新鮮な驚きだったのだ。

後に長嶋さんはアテネ五輪監督に就任。04年の春季キャンプを積極的に視察した。特に若手選手の動きに目を光らせた。野球選手の結婚に話が及び「選手の結婚は早い方がいいですか?」と聞いた。

「そうですね~」と長嶋さん。自身は64年東京五輪でコンパニオンを務めた亜希子夫人(故人)とその五輪期間中に座談会を行い、ひと目惚れ。4カ月でスピード結婚している。生意気にも「やはり長嶋監督のように、好きになったらすぐ結婚した方がいいのですか?」と聞くと、明確な返答はなかったが、「エヘヘ…」。はにかんだような笑顔だった。

03年夏、長嶋さんはアテネ五輪を1年後に控え、現地を視察した。私も同行取材したが、2人で朝の散歩をする幸運に恵まれた。アテネ・グリファダ。青く光るエーゲ海を望む海岸沿いを散策した。長嶋さんは突然「スイカですよ、スイカ。見に行きましょう」と走りだした。現地の人がトラックの荷台にスイカをいっぱい積んでいた。「僕の千葉のね、実家の近くも、スイカが有名なんですよ。これも実が詰まっているな」とスイカをコンコンとたたき、うれしそうにほほ笑んでいた。

周囲への影響力とは対照的に、屈託ない笑顔が印象的だった。そして、ユニホームを着て五輪で指揮する本当の「長嶋ジャパン」が見たかった。【02~04年、長嶋ジャパン担当・栗原弘明】

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